本当は石垣島の森内邸(支部だよより参照)に遊びに行きたかったのだ。しかし、ANAのマイレージ不足で石垣旅行をを断念し、沖縄本島の美ら海水族館に行こうと思っていたのにそれも特典航空券が取れなく断念し、ならば北海道という事で、どうせならば稚内に行きたいと思ったのだが、それもマイレージが足りず断念。道東に行こうかと思ったが、生後8か月の子供をレンタカーで転々と移動するのは無理だろう。と配偶者からいさめられて断念。結局は、小学1年生の娘が大好きな温泉でゆっくりできそうなところ。という事で紆余曲折の末函館に訪問することとなった。
函館支部はまじめに校友会活動をやっている支部である。
我が大阪府支部がホームページを立ち上げた時と同時期くらいから函館支部もホームページを立ち上げているのである。しかも、函館はきれいな街なのできれいな写真をふんだんに使っていい感じに作っているのである。 ということで、かなり昔(5年以上前)に函館支部に「リンクを貼ってもいいですか?」メールを流していて、その時にメールでやりとして以来のやり取りで、函館に行って高田次期支部長に会うことになった。
7月24日(火曜日)関西空港8時50分の函館行全日空機に乗って函館に向かった。
それにしても、関西空港は遠いです。我が家から伊丹空港まで徒歩15分なのに1時間半の時間と片道1900円のお金を払っていかなければいけないのです。ハッキリ言ってこんな時間と金のかかるところに行くくらいだったら、東京、九州ならば新幹線で行こうという気持ちになってしまいます。関西空港を発展させたかったら、空港バスと空港行きの列車の運賃をタダにするくらいの政策をしなければだめだろうと思います。
関西空港に行くのは、東京の人に国内線に乗りに成田に行ってくださいというようなもんですから!
それはさておき、関西空港で高田さんへのお土産を買った。北海道に行くので「面白い恋人」を持っていきたかったが、面白い恋人は裁判に負けて以来なくなってしまったので断念し、大阪らしいくいだおれ人形クッキーを買っていった。(こちらも今は亡きくいだおれなのだが、、。)
関西空港から函館行の全日空機はかなりすいていた。1/3は空気が乗っていた感じである。
ということで、配偶者と生後8か月の息子、小学校1年生の娘で3人掛けの席に座り、私は反対側の3人掛けの席の窓側に一人で座って函館に着いた。
15年ぶりの北海道である。実に大学3年生の夏以来の北海道である。
すがすがしい涼しくて済んだ空気!と行きたいところだったが、函館も30度弱の夏の天気で意外と暑かった。
「ここが北海道だ〜〜!」と行きたいところだが、函館はもっとも本州に近い北海道で道央や道東のような地平線が見えそうな北海道らしい北海道というよりも、こじんまりした港町という北海道なのである。
函館空港からとりあえずバスに乗った。
今日から3泊4日で湯の川温泉の「万惣」というホテルに泊まるのである。私も函館に行くことになるまで知らなかったのだが、函館には湯の川温泉という温泉地があったのである。湯の川温泉、、、、。川湯温泉は知っているのですが、、、。という感じだった。ハッキリ言って函館の観光地としてPRの不作為である。いい温泉なのに全国にさほど知られていないなんて、、。湯の川温泉は、某温泉地のようにすぐそばにエロエロしたところの無い良い温泉地だった。特に宿泊した万惣はハッキリ言って、この近辺の温泉ホテルの中で群を抜いて安価なのだが、全くもって問題なく満足のできるホテルだった。(フロントのお姉さんは長身で美人だったし。当初は、きっとぼろホテルで全室お化け出没します。くらいの感じかと思っていたのだが、いい意味で裏切られた。なお、お化けは出ませんでした。)
函館空港からバスに乗って、10分ほどで湯の川温泉のバス停に着いた。
海沿いの道でバスを降りてホテルを探した。
湯の川温泉は、海沿いの近代的な高級温泉ホテルと、路面電車の駅に近い古手の温泉ホテルに分かれているようだった。
我々家族が泊まったのは、路面電車の駅から3分ほどの場所だった。
海沿いのホテルは、目の前の海水浴場で泳げたり、屋上露天風呂があったり、海を挟んで函館山がみられたりというメリットがあるようである。
我々は、風呂に入って寝るという目的なので、景色にはこだわらないのである。海水浴も泳ぐのには寒いのでどうでもいいのである。
バス停から5分ほどで万惣についた。近い!
まだ朝の11時過ぎなので万惣に荷物を置いて観光することにした。
とりあえずは、小雨だったが五稜郭に行ってみることにした。路面電車で10分弱である。
路面電車の一日乗り放題券600円を買えばその日一日乗り放題の上に、提携先のお店では割引がされたりとメリットがあるのである。
五稜郭は大学2年生の時に行って以来である。というか、今回の旅行では恵山以外は大学時代に行ったことがあるところの焼き直しなのである。
大学2年の時に先輩と二人で五稜郭に行ったときは、二人とも幕末のことについて全く興味がなく「ふ〜ん」程度だった。今回は、配偶者が興味津々みたいだったが、私も子供も「ふーん」だった。
当然新しくなったという五稜郭タワーにもおのぼりさんなので登ってみた。「うわ〜、高〜い。木戸銭が。」という無粋な感想と、このお堀の形って雪印のマークみたいでデザインとしては素敵だけど、攻められやすい形だよね。という感想だった。
五稜郭の中に入っていくお堀の所には、15年前にウミネコがいて、「あ、あそこのお堀に15年前にウミネコがいた。」と言いつつ行ってみると、やっぱりウミネコがいた。長生きである???
そんなこんなで五稜郭を見物して五稜郭前のあじさいラーメンを食べて次はとりあえず函館駅近辺に行ってみることにした。昼だけど朝市にでも行ってみるか?もしくは、退屈だったら金森倉庫でも行くか。という感じだった。
五稜郭から函館駅前までは路面電車で20分位だった。
久々の函館駅は立て替えられていて昔の面影はまるでなしになっていた。レンガ色の三角屋根の駅舎からうわっ面近代的な駅舎になっていた。(ホームは昔のままなのに)
函館駅傍の朝市を見てみた。カニやウニ、イクラなどの海の幸がふんだんに売られているのである。配偶者は涎ものみたいだったが、魚介類があまり好きではない私は「別に」といった冷めた感じだった。
朝市をちらっと見ていたら、向こうの方に摩周丸が泊っていて、青函連絡船博物館になっていた。これは15年前にもあったが、中には入らなかったので行ってみることにした。
木戸銭を払って船内に行ってみた。操舵室なんかがみられてかなり面白い感じの展示になっていた。うろうろしていたら雑魚寝室があったので、だらだら寝転んだりしていたら連絡船博物館の人(佐藤幸雄さん。大学のサークルの先輩と同姓同名だ。)が見回りに来て、一年生の娘に船のロープの結び方などを教えてくれた。すごい!面白いのである。
結び方を教えてくれて佐藤さんはまた見回りに行ってしまった。
結局ロープで遊んで、最後に無人販売でつるされていた100円の摩周丸のロープを買った。
娘がロープを持って歩いていたらまた佐藤さんに会った。娘が「ロープ買ってん。」といって見せたら、今度は違うロープの結び方を教えてくれた。お祝い用のきれいな結び方である。すごい!きれいだ!と100円以上の価値を感じて大満足な摩周丸であった。
摩周丸から出てきたら17時前だった。
小雨の中もう少し出歩くか、何か食べに行ってホテルに戻るか、という事になり、とりあえず函館駅に行ってみた。
別に何も見どころはないのだが、函館駅の2階に行ってみた。
レストランがあったので、あまり味は期待できそうになかったが、好き嫌いが多いお父さんと娘さん、魚介類が食べたいお母さんとなんでも口に入れて飲み込む0歳児のとりあえずの期待に添えそうな感じだったので、そこで早めの夕食を取ることにした。
ちなみに私はかつ丼。配偶者はイクラと鮭の親子丼。一年生の娘さんはお子様ランチ。何でものみ込む0歳の息子さんはそれぞれのとりわけを食べた。
予想通り期待を裏切らない期待していない程度の味だった。
食事をした後はまた路面電車に揺られて湯の川温泉のホテルに戻った。
18時前にはホテルに到着した感じだった。
ホテルに到着したと同時位に、函館の高田さんから電話があった。
「もう食事もしたのでいつでも会いに来てください。」と言ったら、「早っ!」と驚かれていた。高田さん曰く20時くらいに来られるとのことなので、それまでに交代交代で温泉に入ることにした。(0歳児のお守りがあるので)
まずは温泉大好きな娘さんと配偶者がルンルン気分で温泉に浸かりに行っていた。私と0歳の息子さんは部屋でお留守番である。なお、私は別に温泉好きでもないのである。大学時代お風呂のない家に住んでいたので、腐るほどお風呂屋さんにも通ったし、東洋大の朝霞に通っていた時は、毎日昼休みにコミセンの水しか出ないシャワーを浴びていたので外のお風呂は一生分経験したのである。(ちなみに、コミセンでシャワーを浴びた後の僕は、友人に「猿渡、風呂上がりのシャンプーのいいにおいがする。」と言われていた。もしかしたら男性フェロモンをくすぐる男性だったのかもしれません。きっと大学にシャンプーとバスタオルを毎日持って行っていたのは私くらいのはずである。)
配偶者と娘さんが温泉から出てきて、私一人で大浴場に行った。0歳の息子さんは部屋のユニットバスに入ってください。という事なのである。
普通にお風呂に入って身体を洗って部屋に戻ったら、配偶者から「高田さんから電話があって、『ロビーにいるから来てね。』って言われたわよ。」と言われた。
あら、まだ19時半くらいなのに気を使って早く来てくれたのね。という事で行ってみた。
といっても、会ったことのない人なので顔がわからないのだが、向こうもきょろきょろしていたのですぐにわかった。
高田先輩の第一印象は若干元日ハムの小笠原に似ているという感じだった。そして、事務局長の小笠原先輩(元日ハムの小笠原ではない。)も一緒に来られていた。
本当にすいません。こんな生意気大将の若造に会いに来てくださって、、。という感じである。しかも、お土産は一個しか買ってこなくて申し訳ありません、、、、。本当に申し訳ないという感じだった。
高田先輩はメールでやり取りした人で、来年からは支部長職が内定しているとのことでした。小笠原先輩は事務局なる肩書でした。
なんじゃ?事務局とか事務局長とかいう肩書は?と毎度のことながら思ってしまったりする。大阪府支部にはそげな役職はないんだけど、、、。と思うのである。
どうやら、支部長は支部長の職責を果たして、事務局は事務をするとの事みたいである。
いいな。その制度。大阪府支部の先輩に事務やっといて。って丸投げしても、「どーやんの。あんたの方がパソコン使うんうまいやん。お前がやれや。」とか言われたり、「なんで俺がやらなあかんねん!」とか言われて、先輩を叱ってみたらしっぺ返しをされて、ただただ嫌な思いをして、タイムロスをして自分でやらなければいけないような気がしてしまったりする。それに、お金が絡むと、銀行通帳の名義が「東洋大学校友会大阪府支部 猿渡直人」になっていて、校友会は法人ではないため、結局のところ支部長名の通帳になっているため、万が一金の使いこみをされたら私個人で立て替えなければいけなくなってしまうのでなかなか難しいと思っていたりするのである。
いずれにせよ、しっかり役割分担できていてうらやましい限りである。
で、ホテルのロビー横のソファーで3人であーじゃないこーじゃないと2時間ほどお話をした。配偶者とお子ちゃまたちは最初に挨拶にだけ来て、お部屋で遊んでおいてもらった。本来なら配偶者は私の主人であり保護者でもあるので一緒に話をしてほしいところなのだが、お子ちゃまの面倒があるので部屋に戻っていたのである。なお、全然関係ないことだが、校友会での私は平岡さんの傀儡になっていると自覚している。メドベージェフ猿渡である。(ということは平岡さんの支部長復帰はあるのか??)
支部の現状と運営や世間話をたっぷりした。
まずは自己紹介からで、高田先輩は幹事長(これもよくわからん肩書だと思っているのだが)で昨年までは印刷屋さんをやっていて、今は何やら次の目標をたくらんでいるとのことだった。
小笠原先輩は花屋さんを営んでいるとのことだった。
どうやら小笠原先輩の方が高田先輩よりも先輩のようだったので、私から見たら配偶者も含めて、先輩の先輩の先輩の先輩が小笠原先輩という事になるようだった。(ややこしい文章だ。)
そして、函館支部長は別に柏葉氏という人がいるみたいであった。
ちなみに私の自己紹介は、今回支部の全員に送りつけたものと同じ名刺を出して、こんな感じです。という説明をした。
現在は、大阪府支部の支部長で、行政書士とファイナンシャルプランナー(AFP)であり、9月からは社会保険労務士としても活動したいと思っています。といった内容の自己紹介をすることが多いのだが、たいていの人はこの肩書きで「おお、すごいね!」と騙されてくれているような気がする。特に士業の肩書は士業の先輩が培ってくれたおかげである。私なんて、何回も試験に落ちてやっとこ試験に通った頭の悪い人間で、まだまだひよっこなんですけど会って話を聞いてくれるのはありがたいな。と思ってしまいます。士業にせよ普通の職業にせよそんなものは単なる肩書の一つなだけでどうだっていいものだと思うのである。それよりもそれを活かしていかに社会貢献をして感謝されているかが問題なのだとつくづく思っていたりするのである。
前置きはさておき、私の最近のホットな話題の支部だよりをちゃんと作っているかやホームページを作っていること、支部便りの発送やレスポンスなどについて話をした。
函館支部は、ホームページがかなりしっかり(といっても、ビルダーで作成したのが丸わかりだが)していて、美しいのである。もっとも、土地柄で美しい街なので美しく演出する要素満載なところをうまく使っていて、毎年の支部総会の様子も見られたりするように作られていたりするのである。そして、支部だよりもしっかり作られているのである。その上、支部総会にも結構参加者は多く、新年会や東都リーグの交流会、青森支部との交流など活発な活動を行っているのである。非常にエライな〜。と思ってしまうところである。それに比べて、私はとりあえず支部だよりと支部総会は何とかするから、西中さんと平岡さんで婦人部はよろしく。ゴルフは勝手にやっておいて。みたいな感じになっているのである。(ま、私は♂でゴルフはやらないので消去法で出来ることはこの程度なんですが。)
とはいえ、函館支部もそんなに卒業生はいないうえに、大学を卒業しても函館に仕事がないのでみんなUターンしてこないため、若手は少ないという問題点を抱えているとのことであった。
それについては、大阪府支部も同じなのである。私が30代なので若手の支部長で若い力でやっていてすごい!なーんてよく言われるのだが、単に駒がいないだけなのである。大阪も同じように高齢化して行っているのである。高年齢の先輩方が校友会に参加して頂けているのは非常にありがたいのだが、本音を言えば現在の参加人数の倍くらいの人数で20代から80代くらいまで各世代10人ぐらいづつコンスタントに出席してもらえると非常に安定感があって理想的だと思っていたりするのである。現状では校友会が年金負担世代を表した図のような形である。
なんといっても、大阪府支部の幹事は20代が1人。30代が私のみ。40代は3人、それ以降は50歳以上なのでお世辞にもバランスがいいとは言えないのである。幹事会に関しては、個人的に20代30代が中心になってくれるのが理想的だと思っているのである。若手が執行部(実働)をして、汗をかてい先輩とコネクションを作るのが今後の人生の糧になる校友会活動ではないかと思っているのである。ちなみに私の所属する行政書士会の豊能支部は若手が執行部となっていて、ベテランはお目付け役のような立場で見守ってくれて廻している感じがしていたりする。
そんなこんなで、色々な話を22時くらいまでしました。
わざわざホテルまでお越しくださいましてありがとうございました。高田先輩と小笠原先輩には感謝しております。
部屋に帰ったらまだみんな起きていた。
今日は朝5時起きなのに元気である。疲れているのは親の方である。
電気を消してすぐ寝ました。明日は恵山にでも行ってみるか。
翌日朝起きてすぐに配偶者と娘さんは朝ぶろを浴びに行った。
食事をしてレンタカーを借りて恵山に行くことにした。
レンタカーは2日間借りて、今日は恵山、明日は大沼公園に行こうという事になった。
ホテルのフロントの長身美人のお姉さんからもらったレンタカー屋のパンフレットを見ていたらSKYレンタカーが一番安かったので電話をしてみた。私の予想では車種はデミオかスイフトを借りて2日で一万五千円くらいかかるかと思っていた。
電話をしてホテルでもらったパンフレットを見たといったら、一日4000円強くらいにしてくれた。保険代も含めると9000円ちょっととのことだったが、5万円免責がない保険にしても千円アップという事で、二日で1万円で貸してもらえることになった。さらに、チャイルドシートとジュニアシートを貸してくれるように言ったところ、それでしたら特別に同じ値段でインサイトに致します。と言ってくれた。超ラッキーである。ハイブリッド車を運転するのは初めてであった。
電話を切ったら10分ほどで迎えの人がやってきた。早い!
レンタカー屋さんの車でレンタカー屋さんに運んでもらった。そこで書類を記入していざ出発である。
出発前にこの近所でお勧めの食べ物屋があるか聞いたところ、ちょっと行ったところに「ラッキーピエロ」というハンバーガ屋さんがあると言われた。「らっきーぴえろ??」なんかよくわからんけど帰りにでも行ってみるかという気になった。
今日は残念ながら雨の函館である。
土砂降りの雨の中を恵山の方へ向かった。
雨が降っていたが、配偶者の見立てではあと一時間ほどであがって、そのあとは曇りになるとのことだった。
1時間ほど海沿いの道をナビの通りに走って行ったら行き止まりになってしまった。
どうやら、「恵山」でナビを登録したのだが、我々が行きたかったのは登山口なので、間違えていたようである。
少し道を戻って、恵山の登山口の方へ向かった。
雨は上がったが相変わらずの曇りである。
坂道の途中鹿に会った。
そして、もう少し行くと見晴らし台があった。曇っていて全く景色なしであった。
そこから少し行くと道が開けて恵山の登山口になっていた。
雨はすっかり上がっていたが、晴れてはいなく明るい曇りになっていた。
スニーカーだったが、私と配偶者、子供二人の計四人で恵山に登ることにした。
私はリュックサックを背負い、カメラを首ぶら下げて、配偶者は8か月の子供を背負って、1年生の子供は自力で歩く登山である。
恵山は、函館から最も近いトレッキングコースで渡島半島の南東端に位置し、活火山の噴火口がみられるお気軽登山コースである。標高は618mで六甲山程度の標高だが、緯度が高い位置にあるため、標高が低くても高山植物がみられるのである。
歩き始めて5分も経たないうちに、マムシがとぐろを巻いているのと遭遇してしまった。嫌な感じである。子供にはこれがマムシだから気を付けるように教えた。
少し歩くと景色が開け、若干曇ってはいたが3000m級のアルプスに近いきれいな景色が見られた。函館からの観光地としては、大沼公園が有名かもしれないが、恵山のトレッキングコースも我々にとってはかなりポイントが高く感じた。正直言って、あまり知られていないのは函館観光局の不作為ではないかと思ってしまうくらいだった。
そして、子供と4人でゆっくり歩いて約2時間かけて恵山の頂上に到着した。
頂上は曇っていて景色はほとんどなかった。晴れていたら青森がみられるのかもしれなかったが今日はあいにくの天気であった。
頂上で休んでいると、近くの岩に蝉がとまった。エゾゼミ?
蝉がけたたましく山の頂上でなくのはここならではかもしれない。高山植物も生えている山だが、標高が低いので飛んでこられるのであろう。
元来た道を戻って車に乗って、今度は水無海浜温泉に向かった。
水無海浜温泉は恵山の山裾にある海辺にある温泉である。
潮が満ちると水没し、潮が引くと温泉が現れる天然の露天風呂である。
温泉好きの嬢ちゃんのために行ったような感じである。
お昼をとうに過ぎていたが、13時過ぎに海浜温泉に到着した。
嬢ちゃん以外は温泉に足だけつけて、嬢ちゃんだけ水着に着替えて入っていた。
海の中の温泉である。
結構いい湯加減だった。
我々が到着した時には誰も入っていなかったが、後から来たおっさんは我々が帰った後に入っていた。
嬢ちゃんを海浜温泉で30分ほど遊ばせてあとはのんびりとドライブをしながら函館に戻ることにした。
時間は14時を過ぎており、おなかがすいていたのでどこかで何か食べようと話をしながら走っていたら北海道おなじみのコンビニ「セイコーマート」が出てきた。懐かしい。役15年ぶりである。
15年前に北海道に旅行に来たときは、セイコーマートでカルビ丼かお好み焼きを食べながらメッツガラナを飲むのが定番になっていた。
腹をすかせながら、家族でセイコーマートに直行。
軽く何か食べて、どこかのお店で食べなおすつもりが、みんなガッツリ食べてしまった。
ちなみに、カルビ丼がなかったので豚生姜焼きと牛焼き肉のどんぶりをセイコーマートコーラと共に食べた。おなかがすいていたのでなかなかおいしかった。
3人ともコンビニ弁当で満たされて函館に戻りつつ、途中でトラピスチヌ教会に寄った。
ここは、西洋版尼寺である。
なかなか綺麗で、木戸銭もいらず見られるのだが、建物を外から見られるだけで中には入れない状態になっていた。
函館は、教会の多い街できれいな建物が多いのである。
そして、驚いたのはとにかく中国人観光客が多いのである。トラピスチヌ教会でも、日本語よりも中国語の方が多く聞こえたような感じである。
私個人としては、中国に旅行に行ったこともあるし、中国人の友人もいるので中国人に対して悪いイメージはない(政府や外交に対しては別)のだが、とにかく観光地にいる中国人はマナーが悪いのである。きっと、マナーが悪いのは一部だけだと思うのだが、一部のマナーの悪さで全体に悪く感じてしまうのである。
ちなみに、トラピスチヌ教会では、「静粛に」と書いてあるところを、大声で話しながらビーチサンダルを履いた中国人を見かけてしまった。そんな格好で来てしまったことは仕方がないにせよ、漢字の国の人なのだから「静粛に」の「に」以外は読めるだろうに。と思ってしまった。
トラピスチヌ教会の感想は、「まあ、きれいだったね。」という感じだった。
30分もせずにトラピスチヌ教会を後にし、ホテルに向かっていたら途中に朝言われた「ラッキーピエロ」が出てきた。
さっき昼食を食べたばかりだったが、とりあえず行ってみようという事で寄ってみた。
ラッキーピエロは函館のB級グルメのハンバーガ屋さんである。
とにかくデカイイメージのハンバーガーという感じである。味はマクドナルドなどと比べるといい意味で「下品」な味である。それがいいのである。
我々はお持ち帰りで、人気ナンバー1と書かれた「チャイニーズチキンバーガー(から揚げバーガー)セット」と人気ナンバー3と書かれた「トンツバーガー」を買った。
ラッキーピエロは作り置きをしないので10分ほど待たされて、お持ち帰りの物が出てきた。中身はハンバーガー2つとポテトである。渡されて第一印象が「重っ!」であった。マクドナルドの倍近い重さがあるように感じた。
ハンバーガーを持って車に乗ってホテルに帰ることにした。
途中ファッションセンターしまむらが出てきたので寄った。
私のパンツを買った。今回の旅行ではあらかじめパンツの数が足りなかったので、途中で買い足す予定にしていたからだ。
パンツを買ってホテルに戻った。
配偶者とお子ちゃまは先に部屋に戻り、私一人で車を止めに行き、車を止めて部屋に戻ろうとしていたら電話が鳴った。
昨日会った高田次期支部長であった。
高田次期支部長は、わざわざ函館のお土産を持ってきてくれたのである。
すいません。しょーもないくいだおれクッキーごときのお返しをいただいてという感じである。
高田支部長は、ラッキーピエロの袋を持った私に会うなり「おっ、ラッキーピエロいったの?」と聞いてきた。「はい!」といいながら、ラッキーピエロは函館ではメジャーなんだ。と思った。
今日は恵山に行って明日は大沼に行こうと思います。なんて話を軽くして、高田先輩は、トラピスト(トラピスチヌの尼寺ではない方)クッキーと山親爺せんべいをお土産にくれた。(家に帰ってから食べましたが、両方とも美味でした。函館は食文化先進国だと思いました。トラピストクッキーも山親爺せんべいも9か月のお子ちゃまがむしゃむしゃ食べておりかなりポイントが高いお菓子でした。山親爺せんべいは卵ボーロの味がしておいしかった。)
高田先輩と少して部屋に戻ってラッキーピエロを開けてみた。
第一印象「デカッ!」だった。
僕はトンカツバーガーを食べたのだが、とんかつがデカいのである。大手のハンバーガー屋が販売するカツバーガーは、上と下ではさんでいるパンに合うサイズのカツが挟まっているのだが、ラッキーピエロのトンカツバーガーは、普通にとんかつ屋で出てくるとんかつを真っ二つにして、「えいっ!」とパンにはさんだ感じである。
味に関して言えば、上記したように下品でうまいのである。
http://www.luckypierrot.jp/
大手のハンバーガ屋のように、サイズの合ったカツにマニュアル通りのソースが塗られている感じ(当然ラッキーピエロもマニュアルはあるかと思うが)とは違い、ガッツリデカイカツをのっけて、ソースたっぷりボリュームたっぷり「どうじゃ!なんか文句あるか?」という存在感と味が最高なのである。(あー、ラッキーピエロ食べたくなってきた。)
そして、サイドメニューのラキポテがまたうまいのである。ラキポテはドリンクLサイズのカップに太めのポテトが入っており、そこにデミグラスソースがかけられておりうまいのである。個人的には濃いめのポタージュスープがかかっているように感じたのだが、とにかく初めて食べるソースのついたポテトでこちらもボリューム感で文句を言わさない感じだった。
とにかくラッキーピエロはご当地バーガーNO1になっていることが理解できるおいしいハンバーガー屋さんでした。(北海道の素材を地産地消しているところもうれしい!)
出来ればラッキーピエロが全国区になってくれるとかなりうれしく感じていたりします。きっと僕はマックの隣にラッキーピエロがあったらラッキーピエロに行ってしまうと思います。それくらいポイントが高いハンバーガー屋なのです。とはいっても、素材の地産地消で味をキープしている店なので、北海道から出るのは輸送コストなどの面からしてむりなのかな〜?と思ったりします。
翌日、朝から晴れていた。
相変わらず配偶者と嬢ちゃんは朝風呂に入り、食事の後、大沼公園に向かった。
函館から電車ならば1時間くらいかかる大沼公園も車ならば1時間かからずについてしまった。
ものすごく久しぶりの大沼公園である。
公園の遊歩道を歩いて回った。約1時間である。
今日は天気がいいのだが、駒ケ岳の頂上だけが雲に隠れていて見えたり見えなかったりである。湖畔の駒ケ岳がきれいにみられるところで写真を撮ろうと思っていたらやっぱり中国人観光客がいっぱいいた。中国人観光客は自転車で大沼公園を観光しているのである。さすが中国人。だが、昨日同様やっぱりなんかマナーがイマイチなのである。写真を撮りながら岐阜から来た人と話していたが、やっぱり同じ意見だった。
遊歩道を歩いた後はボートに乗った。手漕ぎのボートである。
大沼を1時間ボートでぼーっとするのである。
嫁子を乗せていざ出発。あーしんど。と思いながらも沼の上から駒ケ岳を鑑賞。いや〜、きれいだね。という感じだった。大沼でボートに乗ると迷ってしまって戻ってこれなくなることが多いみたいだが、1時間きっちりで戻ってこられた。ボート乗り場の人にはちょうど一時間で戻ってこれてすごいね。と言われた。
ボートの後は、近くの山川牧場に行って牛乳を飲んだ。普通においしかった。
そのあと国道沿いのセイコーマート湯でとうもろこし(200円)を買って食べた。めちゃ甘。超うまいとうもろこしであった。こんなにおいしいとうもろこしを200円で大阪のコンビニで売られていたら絶対食べるだろうと思ってしまうほどだった。
とうもろこしを食べつつ市内に戻った。
とりあえず函館山に行ってみた。
函館山は大学2年生の時に先輩と二人で来て、夜ロープウエイに乗るときにチケット売り場のお姉さんに「頂上は曇っている(頂上手前までは視界良好だった)ので何も見えませんよ。」と言われ、下界では結構晴れていてそんなに曇っている感じでもなかったし、たとえ頂上付近が曇っていてもぼんやりでも函館の夜景が見られると思い「いいですよ。登ってみます。」といって登ってみたら、頂上手前まで「うわ〜すごいきれい!」とか言っていたのに、頂上で真っ白になった思い出がある。そして、頂上は視界2メートルくらいで全く何にも見えず、誰もいなく寒く、先輩と二人で「こんなんだったらチケット売り場のお姉さんがもっと叱ってほしかったとか、『私が何にも見えへんって言ってんのにそれでも登るんか?お前らアホじゃ!』くらい言ってほしかった。」とか言っていた思い出の地である。
昼間の函館山だったがかなりきれいだった。恐らく青森と思われる海の向こうまできっちり見えた。
その後、函館山から降りて、ホテルに戻ってレンタカーを返しに行った。
夕方、今度は路面電車に乗って、金森倉庫周辺で夜ご飯を食べて夜の函館山に行ってみることにした。
また同じように、路面電車の乗り放題券を買って函館駅前まで行った。
路面電車を降りて金森倉庫の方までぶらぶらと歩いた。函館は街並みがきれいだがどことなく活気がない少しさびしい街な気がする感じだった。
ぶらぶら歩いて函館ベイエリアに行った。いろいろな食べ物屋があった。配偶者は「きくよ食堂」の巴丼が食べたいと言っていたので行ってみた。
きくよ食堂は海鮮が中心だが肉物もあって、配偶者は巴丼、僕はステーキ、嬢ちゃんはから揚げ、僕ちゃんはとりわけ食を食べた。
配偶者はうにのうまさにのけぞりそうになっていた。ちなみに僕のステーキもかなりおいしかった。嬢ちゃんもから揚げに満足していた。
配偶者曰く「人生で一番うまいうにだった。」とのことである。
食べたら歩いて函館山の方へ向かった。
函館山ロープウエイはめっちゃ混みだった。
15年前に先輩と来たときは2人で貸切だったのに、ギューギュー詰めだった。
函館山に登った。
昼間と違いとてもとてもきれいな夜景だった。というよりも、あまりの人の多さに圧倒された。すごい人。しかも、半分以上が中国韓国の人のような気がする。いったいここはどこの国なんだろう?
ゆっくり夜景を堪能しのんびりしたかったのだが、あまりの人の多さに辟易した感もあり、30分ほどで函館山から降りてしまった。(当然ですが函館山の夜景はきれいでした。)
そして、また30分かけて路面電車に揺られてホテルに帰ってお風呂に入って寝た。
翌日、早いもので函館旅行も最終日である。
今日はゆっくりとホテルを出て、ぶらぶらと函館山周辺の教会や街並みを観光して夕方の飛行機で大阪に帰るのである。
10時前にチェックアウトを済ませ、荷物は空港受け取りの手配をして、手ぶらで観光に出かけた。
函館山周辺の観光地は主に教会である。
ハリスト教会や旧函館区公会堂などに行った。函館区公会堂では嬢ちゃんがドレスを貸してもらって写真を撮ったりした。
函館はのんびりしていて坂が多いきれいな街である。
たまに来て観光をして帰るのならば最高な街な気がした。ただ、高田先輩も話していたように函館は観光以外の産業がない街だということがなんとなくわかる気がして、観光地を一歩離れると活気がないさびしい街のような気がした。
どことなく寂しく、どことなくきれいで、どことなくノスタルジックな街が函館だった。
観光をしながらお約束のソフトクリームを食べたりし、金森倉庫をぶらぶら見てスタバの北海道タンブラーを買ってかなり時間があったが函館空港へ向かい、飛行機に乗って関西空港に向かい15年ぶりの北海道旅行が終わった。
函館はすごくおいしい食文化の街でした。
高田先輩、小笠原先輩ありがとうございました。