11月22日木曜日 14:00〜
至 東洋大学甫水会館 2階会議室

2度目の事務担当者会議である。
昨年は、子供が生まれるかもしれないとのことで日帰り参加だったが今年は1泊2日での参加である。
昨年参加した際は、フツーにジーパン姿で参加したのだが、今年は朝から会社員時代にお世話になった人の所に挨拶に伺ったためスーツ姿で参加をした。
午前中仕事でお世話になった人に会って、13時くらいに大学についたので、早すぎると思いつつ、甫水会館の会場にカバンを置いて大学の方に行ってみた。

正門から円了の方に向かっていくと、鹿児島の西元さんがいて声を掛けられた。
一年ぶりである。
西元さんは昨年の事務担当者会議でたまたま私の隣が隣に座り、それをきっかけに懇親会でもよくお話をしたりして、知り合いになっていたのである。
彼は、鹿児島で広告やウエブのデザインをしているプロのカメラマンである。
昨年同様彼の肩には、キャノンの5Dのカメラがぶら下がっていた。(さすが本職)そして、僕の方にはニコンのD5100。(さすがアマちゃん)
西元さんとは、明日125周年式典をする建物がまだ工事中で、クレーンや材料が周りに積み上げられており、窓にはシールが張られていて、入り口前の松の木が植えかけなのを眺めつつ、これで明日記念式典が出来るのだろうか?などと話をしていた。
そんなこんなの会話をしつつ、甫水会館の会議室に戻った。
西元さんと並んで座ろうかと思ったら、ほんのりブロックごとに座った方がいい感じだったので、近畿東海ブロックの席に座った。
ほどなくして、富山の森川さんがやってきたので、森川さんが私の斜め前に座って、私と話をしたりした。夏以来、毎月なんやかんや言って大阪府支部の人と交流していますね〜。なんて内容である。(8月は私が富山に遠征。9月は森川さんが大阪府支部の支部総会に。10月は大阪府支部婦人部主催で富山旅行に。そして、11月は大学で会っているのである。)

14時から会議がスタートした。
今回は、今年からスタートした新会計制度の会計事務についての意見交換をするという感じだった。
ブロックごとに分かれて、問題点がないかなどを洗い出して、発表するという感じだった。
ちなみに、私は昨年度に支部長になり始めて作った会計資料が今回の物だったので、他を知らないので何ら問題もなく、意見もなかった。それよりも、今度初めて確定申告をしなければいけないことが気がかりで仕方がない。
問題点の質疑応答という、何ともあいまいな議題だったので、さほど会議が紛糾することもなく、なんとなくいつもより早めに会議が終わって懇親会になった。
ちなみに、毎度毎度来るたびに思うのだが、本部の会計担当をされている武田財務部長は出来る子だなー。と思ってしまうのである。そして、愛知の西垣さん(税理士行政書士)も出来る子だなー。と思ってしまうのである。(二人とも私の親ほど年が離れているのだが、「出来る子」扱いで申し訳ない。)
大阪でも、武田さんや西垣さんのような士スペシャリストの先輩がいたらいいのにな〜。と思う今日この頃である。(自分がならなければいけないのだろうが。)
会議が終わったら懇親会である。
もう、2年目なので誰かしら話す相手はいるのである。
といっても、やっぱり富山の森川さん、鹿児島の西元さんが話やすく一番話していた気がする。といいつつも、昨年大阪府支部の総会に出席してくださった須藤さんともかなりお話をした。(でも、本当に一番話したいのは、校友会の事務員さんの清水さんと遠山さんだったりするのである。若干セクハラかも。)
こうやって、色々と知り合いが増えて話が出来て校友の輪が広がるのが、校友会に参加する意義なのかな〜。しかも、東京に来るのに旅費交通費も出てこられるのだからいいね〜。という感じである。
そんなこんなで、懇親会も終了し、森川さんが20時の電車で富山に帰るという事で、私は19時半から会社員時代の上司にプチ送別会を開いてもらうという事で、お互いの時間つぶしのために、上野駅の喫茶店で1時間ほどお茶をした。



森川さんは相変わらずのテンションで、懇親会でもビール片手にちっとも飲まずにいい感じでした。そして、上野駅ではコーヒーをごちそうしていただき本当にいい先輩です。
その後、私は元上司とお酒を飲み一日目が終了した。
2日目(11月23日金曜日)
全国的に勤労感謝の日である。
会社を辞めてつくづく思う事だが、国民の3大義務の一つ「勤労」には感謝しなければならない。(ちなみにあとの二つは、「子女に普通教育を受けさせる義務」と「納税の義務」である。)
11月23日は朝から雨だった。しかも、今シーズン一番の寒さという事だった。
コートを持ってきていなかった僕は、仕方なくワイシャツの下のアンダーウエアの上に昨日着たアンダーウエアを重ね着して乗り切ることにした。
10時半に御茶ノ水のホテルを出たら、やっぱり寒く、冷たい雨が降っていた。
なんとなくお茶の水から小川町の方へ降りていく途中のベローチェで朝ご飯代わりのコーヒーとパンを食べた。ここは、大学時代当時お付き合いしていて、今私の主人(配偶者)になった人とよく来たお店である。懐かしいな〜。と思いつつ一人で、コーヒーでパンを胃に流し込んだ。
食べ終わったら、溝口の伯父の自転車屋に行ってみることにした。溝口は大学時代4年間下宿していたところである。
神保町から半蔵門線直通東急田園都市線に乗り、二子玉川で乗り換えて溝口(高津)に向かった。
最近会社を辞めて、色々と悩むところが多かったのだが、二子玉川で乗り換えて多摩川の河原を駅から眺めていたら、大学時代のことを思い出してなんとなく前向きな気持ちになれた。
大学時代は毎日乗り換えていた二子玉川園の駅で、当時はお金もなく何も持っていなかったけど、かなり前向きな気持でなんにでも頑張ることが出来ていたのである。今はなんとなく人生守りに入ってしまっていて、負けることにおびえているような感じがすることに、なんとなく気が付いた。あまり悩まないで出来ることをひとつずつこなしていけばいいのかな。という気持ちになれた。
伯父の自転車屋さんで久しぶりに会って話をして、その後大学のホームカミングデーに行った。



ホームカミングデーには、東洋大学の書道の授業だけ教員免許取得のために通っていて今もお付き合いのある2歳上の友達の女性とともに行ってみた。
彼女は立教大学卒業なので、東洋大学にはあまり思い入れはないのだが、無理やり一緒に行ってもらった感じである。
23日はホームカミングデーよりも、125周年記念棟の落成式がメインだったのでしょう。我々外野の人間は、125周年棟の記念式典に飛び入り参加はさせてもらえないので、ホームカミングデーの方を覗きに行ってみた。
ホームカミングデーは、雨の中何をやっているのかよくわからない感じであった。
もらった紙(別紙参照)の通りの催しをやっていたみたいだが、あまり面白そうでもなかった。きっと、16時からの懇親会に出席して、なんとなく和気あいあいとしたら楽しかったのかもしれないな〜。と思いつつ、14時という中途半端な時間に行って、我々は速攻で帰ってしまった。
その後、私と友人で上野のスタバでお茶をして、お土産に昇龍のジャンボ餃子と崎陽軒の焼売を買って飛行機で帰路につきました。
翌日なぜか大阪から参加していた方からお電話をもらい、たまたまその方がホームカミングデーで話した北見の方が、前日猿渡が事務担当者会議に来ていたよ。と聞いたそうで、「うちの猿渡は支部長であって事務担当者じゃないよ。」と言うような話をされたそうだが、私は正確には、事務担当者でありながら支部長なので参加していましたよ。という話をした。それにしても、北見の方はよく私を覚えていましたね。ま、あの会で一人だけ若造なので異質だわな。
そして、ホームカミングデーに出席した先輩からは、私がバザーに送ったお酒「秋鹿秋だし」がちゃんと落札されていたよとの報告もいただきました。
やれやれ、出品しておいてよかったよかった。
これも、下記のように本部の遠山さんから大人な対応のメールをもらっての対応だったのですが、ちゃんとやっといてよかった。だって、大阪から遠路はるばる来て、おらが町の支部長はちゃんとバザーに出展しとらんじゃないか!と思われたらかっちょ悪い感じになっていたことでしょう!
以下 本部遠山さんからのメール。
(ちなみに、このメールは私からの「バザーって、出してもあんまりメリットない気がするけどやっぱ出した方がエエの?」という子供じみたメールに対しての、大人の女性の対応の例としてとらえてください。)
大阪府支部 猿渡様
お世話になっております。
校友会事務局の遠山です。
校友会バザーの件ですが、
校友会としては、なるべく多くの支部に
わずかでも協賛していただきたいと考えています。
個人の意見としては、支部の事情もあると思いますので、
無理のない判断で良いか思います。
支部長として、悩み事が多いことと思いますが、
今後ともよろしくお願いいたします。