7月の終わりに函館支部の高田さんに会いに行ったのにそれもアップできておらず、夏休みの宿題がたまりつつあると思う今日この頃である。
8月26日日曜日、嫁子は千葉の実家にジェットスターで帰って行った。久々の里帰りである。
昨年は、配偶者が懐妊中であり、実家の千葉我孫子ではセシウム君がウロウロしているらしいという事で里帰りを見送っていた。
そして、お子ちゃまが生まれて9か月もたったので久々に里帰りをしようという事で去って行った。
残されて暇を言い渡された僕は、「え、じゃー実家帰っている間は自由にしていいんですか?」「好きにしたら。」「じゃー、山なんか行っちゃってもいいんですか?」「別に好きにすれば。」ということで、お手軽に行けて行き残していた剣立山に一人で行ってきました。
そもそも、剣立山には7年前に登る予定をしていた。7年前の夏に登ろうと思い配偶者と計画をしていたのだが、夏前に長女懐妊が判明し、それ以来行かずじまいになっていたのである。
8/26日配偶者を関西空港に見送り、家に帰ってからお山登りの準備をした。
テントに泊まるなんて思い出せないくらい久しぶりである。
あれやこれや用意して、夜ご飯を食べて大阪駅から夜行バスで富山に向かった。
今の僕は、時間があってもお金がない状態なので低料金の夜行バスは大好物なのである。
朝7時前に富山駅に着いた。
7時20分頃の地鉄で立山駅へ、そこからケーブルカーで美女平へ、そしてバスを乗り継いで室堂まで向かった。 室堂に着いたのは10時前だった。
途中ケーブルカーに乗る際に、舶来の人と思われる美女が男と一緒にいた。かなりの美女で、出るべきところが出ていて凹むべきところは凹んでいて、顔は小さく典型的な舶来物の美女だった。「ええなーこの男は。らやましいなー。」と思いながら美女の方ばかり嘗め回すように見ている変態のおっさんになっていた。
室堂に近づくと景色が「アルプス!」という感じでテンションが上がった。
さすがにきれいな景色である。そして、久々の日本アルプスの風景である。
室堂に着いた。
とりあえずターミナルでそばを食べて腹ごしらえをして出発した。
今日は、剣沢キャンプ場までの4時間弱の行程である。
室堂は、手軽に来られるアルプスなので超観光地である。ヒールを履いたお姉さんから冥土の土産の爺婆まで多様な年齢層と人種がいるのである。その中で僕はデカイザック(今回は20s位の量でした)を背負って、今からそこのギザギザしている山を登ってきます。というスタイルで出発した。
雷鳥沢キャンプ場で一服をして足にテーピングを巻いて、そこから本格的な登りを登りきって剣御前小屋まで行った。久々に登りごたえのある登りだった。剣御前小屋で剣岳を眺めつつリッツをバリボリ食べて剣沢キャンプ場まで下って行った。着いたのは14時前だったので結構早くついた感じだった。
早くついてもやることがないので、テントを張ってボケーっとしていた。
このなにもやることのないボケーっといた時間は、山に来た時にしか味わえない時間なのである。普段だと本を読んだり、パソコンをしたりと空いている時間をどんどん埋めていくのだが、山では本も持っていないしパソコンもないし一人だから話す相手もいないし、ただただ風景を見ながらボケーっとするか、昼寝でもするかしかやることがいのである。
15時半くらいになり、さすがに暇なので早めの夕食にすることにした。
普通は16時から気象通報を聞いて天気図を描いて、それから夕食というのが山でのセオリーなのだが、どうせ明日も晴れるとわかっているし、天気図描くのが面倒だしと思い、15時半からメシを炊いて牛丼と共にさっさと胃に流し込んでしまった。
飯を食ってもまだ16時半である。
もういい加減剣岳を眺めるのも見飽きた。
やることもないし、夕方になってきたのでテントの中でシュラフに入ってボケーっとしていた。ボケーっとしていたら夜になって、気が付いたら満天の星空に月が昇って明るい夜になっていた。
そして、あまり熟睡できないまま眠った。

あまり熟睡できず何度か起きたが、3時半くらいに何時に起きようかと思いつつ、シュラフから出るのが寒くて嫌だなーと思いつつ、4時になったら起きることにした。

4時になりシュラフから出て寒くて暗い中米を炊いた。
昨日といい今日といい久々の米炊きにもかかわらず、なかなかの炊き映えだった。とはいえ朝はあまり強くないので、味噌汁と茶漬けでごはんを胃に流し込んだ。
5時過ぎに剣岳(2999m)に向けて出発した。

今日の行程は6時間弱のコースタイムである。
登りの途中、岩場で手を掛けたら岩に小指が当たって小指が切れて壊れて血が出た。「あー、ちー出てしもた。」と思い絆創膏を貼ろうと思ってザックの中を探したが絆創膏を持ってくるのを忘れていた。ショック。仕方がないのでティッシュで壊れた場所をくるんでテーピングを巻いた。
その後、カニの縦ばいという鎖場が出ていたりしつつ頂上に着いた。あっさり書いているが3時間以上もだらだらと登っての登頂だった。
頂上には7時55分に着いた。

剣岳では登りのカニの縦ばい、下りのカニの横ばいが難所として有名なのだが、僕にとっては「ふ〜ん。」程度だった。ちょっとだけスリルがあるかな。という感じである。かといってこれを見て中高年の無知なハイカーは行かない方がいいと思います。
頂上で持ってきた中華三昧を食べた。少しでも軽量化したいので持っているものは何でも食べるのである。頂上からというか、途中から遥か富士山まできれいに見えた。

一時間弱の頂上滞在で下山した。

下山コースではしょっぱなのカニの横ばいで爺婆が渋滞を起こしていた。がっかりである。中高年の登山者に言いたい。もっと体と技術を鍛えてから来い!せめて20kg位の荷物が持てて、地図が読めて、天気図が描けて、山での食事のマナー(メシを作った鍋なんかはお茶を入れてスプーンできれーに洗って飲み干して汚れを山に流さないとか)とかが出来るようになってから来い!と言いたい。何にも出来なくてよくわからないのに小屋泊りでやってきて崖から落ちて死んでみたり、ちょっと捻挫してヘリをよんでみたりするからたちが悪いのである。
爺婆は途中でさくっと抜かして、サクサク下って行った。といっても実は登りよりも下りの方が苦手なのである。下りはどうもつま先が痛くなるのと、以前膝を壊しているので爆弾を抱えているような気になるのである。ということで、サクサクゆっくり下って行った。
下りながら今後の日程を考えた。今日早めに降りてそのまま立山縦走して大阪に帰ることができるか?雷鳥沢ヒュッテに行って明日は立山アタックにするか。など悩みつつ歩いていた。
下山途中(10時ちょうど)一服剣の上で地図とコースタイムを見ながら今後の予定を考えた。どう頑張っても剣沢に着くのにあと1時間。そこから荷物をまとめて出発して、コースタイム6時間強の翌日の日程を疲れた体で午後四時までにこなすのは無理。ということで、一服剣の上で30分休んで超ゆっくりとテントのある剣沢キャンプ場に戻ることにした。ゆっくりと写真を撮りながら下山したにもかかわらず剣沢のキャンプ場には11時40分についてしまった。
やることがないのでとりあえず怪我をした小指を洗って、小屋にいた富山県警の人に絆創膏をめぐんでもらって、小指に貼ってお菓子を食べたりして昨日以上にだらだらと過ごした。もう、剣岳の景色は見飽きましたよ、、。
15時半くらいになり、やっぱりやることがないので飯炊きをして、16時からラジオで気象通報を聞きながら夕食のレトルトカレーを食べた。明日の天気も概ね晴れですね若干ガスが出るかもという見立てだった。朝鮮半島へ台風が移動しているので進路の右側に位置するため雲が引っ張られてガスが出るかもと予想しました。
夕飯を食べて相変わらずやることがないので昨日と同じ様な感じで寝てしまった。今夜も寒くて熟睡できない感じだった。
翌日8月29日
朝4時前に目が覚めた。というか、何度も目が覚めては時計を見つつ起きる時間をどうするかを気にしていた。外では3時過ぎくらいから出発の準備をする人のヘッドライトの明かりが光っていて、僕は何時に起きようか迷っていた。
4時に起きようかと思ったが、寒いのでとりあえず4時半くらいに起きようという事にした。だらだらとシュラフにくるまりながら4時半近くになってきたので起きた。
起きたら昨日と同じように、まずお湯を沸かしてお茶を飲みつつコメを炊いた。
あったかいカモミールティーが胃に染みる。
今日も昨日同様お茶漬けと味噌汁でご飯を胃に流し込んだ。
飯が終わってテントを撤収して6時に出発した。
今日はまず剣沢のキャンプ場(2500m付近)から別山(2874m)まで上がり、そこから尾根伝いに立山雄山(3003m)に向かいそこから室堂平(約2500m)まで下山するコースである。
荷物を詰め込んだ20s弱はあると思われるザックを背負って別山の上りを登って行ったがことのほかサクサクと進んだ。当初は1回くらい休憩を入れようと思っていたが、1時間弱で別山まで登れてしまった。
別山頂上は風が吹いていて、3000m付近に雲がかかっていたため剣岳の頂上は隠れており、周りの山も微妙に見えたり隠れたりするような景色だった。
別山から真砂岳を経由して2時間ほどで大汝山に着いた。
大汝山と雄山で立山のメインという感じである。
大汝山の頂上から遥か眼下に、黒部湖が見えた。
丁度一緒になった武庫川女子大学の引率の先生と生徒の人に写真を撮ってもらったり撮ってあげたりした。
大汝山の頂上からの景色は黒部湖が見られてきれいだった。人もそんなにたくさんいなくいい感じの山だった。ただ、相変わらず3000m付近には雲がかかっており、黒部湖の逆側の室堂が見えないくらいになってしまっていた。
大汝山から雄山までは15分ほどだった。
雄山に着いたら急激に観光地だった。

富士山、白山、立山は日本3大霊峰なのだが、雄山も他と同じように超観光地だった。ちなみにこの3山は超有名どころだが、猿渡的山の評価としてはかなり低い部類である。
雄山の神社で頂上バンダナと、今日会う森川さん向けに頂上手拭いを買った。神社なのでお守りも売っていたの だが、資格試験も終わったのでいまさら学業成就もいかがなものかと思い、かといって交通安全や家内安全もいかがかと思うし、雄山が商売繁盛な感じもしないのでその他の物は何も買わなかった。そして、みんなと並んで500円を払ってお祓いをしてもらうのもなんとなくありがたみを感じなかったので、雄山の頂上では昨日に引き続き中華三昧を食べてだらだらしてから下山することにした。
中華三昧を食べ終わる頃に武庫川女子のご一行がやってきた。
先生と話をした。折角なので名刺を渡して「メールください。さっき大汝で撮った写真をおくりますから。」という話をしたら、先生も名刺をくれた。生徒の方々は名刺を持っていないのでとりあえず全員に僕の名刺を渡した。
表に行政書士、裏に東洋大学校友会支部長の名刺である。
この名刺も今週でデザイン変更なのである。表が行政書士と社会保険労務士の肩書になり、裏は主要取扱業務を書くことになるのである。東洋大学支部長の肩書の名刺は当分出すところがなくなる予定なので、いったん作る予定はないのである。
そんなことを思いつつ名刺を渡したら生徒の人たちは「ぎょうせいしょし、、、すごい人だー。」とか言っていた。全くすごくないんですけどその資格、、、。と思いつつ、先生とは「いやー、独立開業したてでどうせ仕事がないんで毎日休みなんですよー。いいねー、大学生は夏休みがあってー、というか、僕なんか毎日休みの状態なんでそろそろ仕事がしたいですよー。」なーんて話をした。先生からは「いつから仕事をされるんですか?」と聞かれたので、「仕事が来た時からです。(キッパリ)」と答えた。結構深刻な問題です。
生徒からは、「結構若いですよね。」と言われたりしたのだが、「残念ながら僕、今大学に2回いける年齢(36歳)になっちゃいました。」なーんて話をした。僕から見た女子大生は、恋愛対象にならないようなかわいらしい感じに見えてしまった。どちらかというと引率の先生の方が僕と年齢は近いのではないかと思ってしまったくらいだった。かといってこちらも恋愛対象にはならないのだが、、、。ああ、俺っておっさん化しているのよね。やっぱりこの旅一番はケーブルカーで見かけた舶来の美女だったのでしょう。
とはいえ、女子大生と会話ができただけでも若干の幸せを感じました。
そんなこんなのやり取りをしつつ、超観光地で人がたくさんいる雄山に1時間弱いて、相変わらず雲がかかっていて景色も見えないので下山することにした。
武庫川女子の生徒たちご一行は一の越山荘までおりて、そのまま室堂に向かったみたいだったが、僕は時間があったので浄土山経由でいったん130mほど登りなおして下山することとした。
やっぱり相変わらずガスっていて景色はなかった。ハッキリ言って浄土山には来ても来なくてもいいコース選択をしてしまった感じだった。これで途中に雷鳥にでも出会えれば来たかいがあったのだが、そんなこともなくただただしんどいコース選択をしただけだった。
室堂に戻ってきて、室堂ホテルの売店のお姉さんに「この辺でお風呂に入れるところないですか。」と尋ねたら、「みくりが池温泉」と言われたので、「やっぱり」と思いつつ、片道10分かけていくのが面倒だったが、この3日間風呂に入っていず、かなり身体じゅうから汁がしみだしていて、服はいい出汁がたっぷりしみこんでいてすっかい身体になってしまっていると思うので、とりあえず風呂に入らなければこの後、夜飯の時に森川先輩から鼻つまみ者扱いをされるかもしれないと思い風呂に行くことにした。
みくりが池温泉に行く途中はすっかりガスの中になっていた。
みくりが池温泉に到着して600円を払って風呂に入った。
あまり広い温泉ではなく結構混んでいたが、かなり気持ちのいい温泉だった。ハッキリ言って僕が入った経験のある温泉ではかなり上位に位置する温泉だった。とはいえ、混んでいたのでごしごしと体に染みついた出汁を洗い流して30分もかからずに上がった。
着替えて食堂の所で靴下をはいていたらなんとなく何か食べたくなってきてラーメンを頼んでしまった。14時で中途半端な昼食である。しかもさっき中華三昧を食べたというのにまたラーメンである。
山の上にもかかわらず700円のラーメンは良心的な価格で普通の味だった。ただ、僕は厨房のおっさんが冷凍めんを湯がくシーンは見逃さなかったが、、、。
食べ終わって室堂のバスターミナルに戻り、子供向けにTシャツと配偶者向けにバンダナを買って帰ることにした。お土産と言えばお菓子が定番だが、正直言って似たような味のものはどこでも買えてしまう気がして買わなかった。小学生の嬢ちゃん向けに840円のオコジョぬいぐるみを買おうかと思ったが、made in chinaと書かれていたのでやめた。なぜ立山まで来て中国製のぬいぐるみを買って帰る必要があろうかと考えてしまった。そして、尖閣諸島問題のホットな今、少しではあるが中国製品を買い控えてみようかと思ってしまった。ちなみに、個人的には中国人の友人や台湾人の友人がいてみんないい人です。個人的な交流の事は別にして、どうも中国政府や韓国政府の領有権問題などに関しては同調しかねる部分が多く感じてたりします。考え方は人それぞれなのですが、中国人=悪い人、韓国人=悪い民族 みたいな考え方はやめましょう!個々人についはいい人がたくさんいますから。プラスの面を見て、マイナス面はうまく調整をはかり主張すべき点はとことん主張しあうべきだと思っております。
室堂からバスに乗り美女平に行き帰りのロープウエイでは舶来物の美女と会う事もなく、立山に降りて地鉄にのって17時過ぎに富山に戻ってきました。

地鉄富山駅で大阪梅田行夜行地鉄バスのチケットを買いに行ったら満席だった。が〜ん。しゃーない。と思い、JRバスの切符を買いに行った。チケット売り場があらへんやん。どこやねん?と思い、仕方なくJRのみどりの窓口に行ってみた。みどりの窓口ではハイウエイバスのチケットは買えなかった。その代り富山にはJRバスのチケット売り場はなく、電話で予約をしてチケットを入手できることと予約電話番号を教えてもらう事が出来た。
早速電話をしたら空席は少ししかなかったが、チケットを取ることができた。決済はコンビニでするように言われたので、すぐにコンビニを探して近くのローソンで決済しチケットを入手することができた。やれやれ、これでサンダーバードに乗って帰らずに済み、森川先輩と楽しい夕食を食べられることが決定し安心した。
これで、「すいません。バスの切符が取れなかったので最終のサンダーバードで帰ります。」では、かなり残念な結果だったので、助かった感じだった。
予約を入れて富山駅前でコンビニを探した。ローソン、ファミリーマート、サークルKが決済可能コンビニとのこと。何故セブンイレブンが入ってないのだろうか?という疑問もあるが、とりあえず3つのコンビニを探した。
富山駅前の横断歩道を渡ったところでLECの人がティッシュを配っていたのでコンビニがないか聞いてみた。ローソンがすぐそこにあると教えてくれた。ローソンに行って決済をした。5,200円。やれやれこれで帰りの手段は確保した。あとは森川先輩とメシを食うだけだ。21時40分大阪行きドリーム号。
決済が終わったのは18時前だった。森川先輩から仕事が終わったら電話がかかって来る約束だった。それまで富山駅前で暇をつぶさなければいけないのだ。
ウロウロ散策でもしようかと思ったが、デカイザックを背負って歩きまわるのがつらい。それに昨日までだとすでに寝ている時間に突入しておりかなり眠たくなっていたのである。結局動き回るのはやめて、トイレで昨日以来の歯磨きをしてそのあとボーっとバス停で座って待っていた。
18時30分位に森川先輩がやってきた。
富山の森川さんと言えば、校友会の中ではかなりの有名人である。(猿渡の独断と偏見)富山の吉田支部長を知らない人はいるかもしれないが(吉田支部長申し訳ない!)森川さんを知らない人はいないと思われる存在感たっぷりの人である。今度の大阪府支部の支部総会にも、超大物ゲストとして呼んでいるので皆さんには期待していただきたい。
森川さんを知らない人からは「森川さんって誰?」という素朴な疑問がわくことでしょう。形容が難しいのだが、一言でいうと「勢いのあるおっさん。」そして、独特の富山弁をマシンガンのような勢いでしゃべくる「越中ふんどしが似合いそうな男」なのである。(猿渡の独断)(ま、致し方ない。富山と言えば越中富山の薬売りと越中ふんどしくらいしか思い浮かばないので、薬屋さんぽくなければ自然とふんどしという選択肢を選んでしまうのだ。なお、富山で他に思いつくものは、ますの寿司、立山、蜃気楼、米といったところがメジャーどころではないかと思います。)

なお、写真の左から2番目で猿渡君の肩を抱いているおっさんが森川さんである。
とにかく面白いおっさんなのである。
と、勝手にふんどしの似合うしゃべくりなおっさんという先入観を持ってもらっても困る(すでに十二分に先入観を植え付けているかも)ので森川さんの人となりを紹介しよう!
森川さんは昭和63年法学部法学科卒業で、学生時代は混声合唱団に所属していたそうだ。
森川さんに、「森川さんは何学部だったんですか?」と聞いてみてください。「混声部!」と必ず応えてくれます。そして、現在はガスの販売会社で次長職をされているそうです。
ここまでをまとめると、法学部出身で合唱部の越中ふんどしが似合うガス屋のしゃべくりなおっさん。という事になる。
話がそれすぎた。
森川さんがやってきて、東洋大のOBがやっている居酒屋へ連れて行ってもらった。
居酒屋はさっき行ったローソンのすぐ近くだった。森川さんは僕のためにわざわざ予約を入れておいてくれたのだ。ありがたやありがたや!というか、週に一度はここに来ているとのことだった。
居酒屋に入ると一番奥のカウンターが2席空いていた。(これが予約)カウンターの前には柏原竜二のサインと写真。壁には東洋大学の駅伝の写真やら芸能人のサインやらでぎっちりだった。そして、たまたまだったが僕の隣には富山支部の写真家青山氏という方が飲んでいたのだ。恐るべき東洋大OBの巣窟である。東洋大好きには耐えられない空間なのである。
で、森川さんとバスの時間までたんまりと話をした。先週の嶋田先輩とは打って変ってリラックス感満載である。場所も場所だし、アウェーだけどホーム感たっぷりである。
今まで知らなかったのだが、森川さんは学生時代混声合唱団に入っていて、学生時代のほとんどが混声合唱に費やしたそうだ。
申し訳ないが、僕には混声合唱団のイメージと森川さんのイメージがどうしても合致しないのだ。
僕が大学に入って早々、同じ学部で知り合ったとってもかわいい安藤未樹子さんという女の子がいた。彼女はとってもかわいく4月で新勧の頃の授業の前に、「私、混声合唱団に入ったの。猿渡君も入らない?」と言われたことがあった。(ま、休み時間の教室で「サークル入った?」なんて会話の流れからなのだが、、、)
冷静に「いやー、僕はちょっと向かないと思うから〜。」なーんてやんわりとお断りをした過去があった気がする。(当時僕はかなりうぶだった。)
安藤さんは確かに可愛かった。でも、僕はとてつもなく音痴なんです。カラオケに行ってマイクロフォンを通してスピーカーから流れ出る自分の声を聴いたら死にたくなるんです。きっとそこが高層ビルの屋上で誰かが後押ししてくれたら空を飛べそうな気になるくらいです。けれど歌うのは好きです。よく一人で車を運転しながらエコーズやら中島みゆきやらを一人ジュークボックス化してステレオに合わせて歌っていたりするんです。だからといって公衆の面前で醜態をさらすのは耐えられないと思ってしまったのです。ましてや可愛い女の子たちを前にしては、、、。(過去と現在がごっちゃになった文章だ。)それに、今は3枚目のお笑いキャラが定着してしまっているのだが、当時はなるべくは2枚目から2.5枚目程度のキャラを目指していた多感な時期であったのだ。ジャイアン並みの音痴を披露し笑いを取ったら「よし!ウケた。おいしいぞオレ!」という感じになることでしょう。(ま、本当のところ、客観的に考えて混声合唱団は自分には向いていないと思ったし、みんなで合唱したいと思わなかったし、既にその後2年間所属し、配偶者と知り合った登山サークルに足を突っ込みかけていたので、どっちかというと山に這い登っているイメージの方が自分自身としては想像しやすかったのだ。)
ちなみに山に行ったときにジャイアン並みに歌ったりしていた。山で同じ釜の飯を食ったおっさんらに対しての恥はかき捨てどころかオイシイくらいに思っていたのである。そんなおっさんの一人が今の配偶者なのだが、配偶者に僕が歌っていた中島みゆきの曲を聞かせたら「へ〜、本当はこんな曲だったんだ。全然違う。」と言われた苦い過去もあったりする。(僕は忠実に再現して歌っている気がするのだが、ピカソなみのデフォルメがされているようである。)
話は長くなったがつまるところ、
可愛い安藤さん=越中ふんどしが似合う男森川さんの方程式がどうしても成り立たないのである。想像ができない。こんなことを書きつつ安藤さんはどうしたかな〜なんて思ったりした。可愛かったな〜。そういえば同じ学部の清水さんも可愛かったな〜。西尾さんもかわいかったな〜。南さんは憎たらしかったな〜。なーんて思ったりした。
ああ、逢ってみたいな〜。どうしたことやろかいな〜?とも思うが、既にかなりの時間が経っており、向こうは既に35歳を超えているのだ。もうりっぱなおばはんかもしれない。それにこちらも曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処にも求めようもない。のだから、、。(一部中島敦「山月記」よりパクリ)と考えつつ、僕は小学校6年生のころ同じクラスに藤本さんという可愛い子がいたことを思いだした。当時僕はクラスでも前から数えて3番以内のチビだった。今でこそ身長は170cmまで伸びたが当時はクラスでもチビで頭の悪い人間だった。それに比べて藤本さんは僕よりもだいぶ背が高くかわいらしく勉強も出来る女の子だった。そんな彼女とは小学校を卒業し別々の中学校に進むことになった。僕が住んでいた蛍池東町と彼女が住んでいた刀根山とでは別々の中学の校区になってしまったのである。そして、別々の中学に進み僕は持ち前の大バカをいかんなく発揮し、大バカにふさわしい高校の入学試験を受けた。試験が終わってから高校の階段を降りていると小学校時代の男友達に会った。その彼が、「覚えてる?」と言って指差した先に女の子。「覚えてない。」「同じクラスだった藤本やん!」(「、、、、、、思い出せない。」)
またまた話が大きくそれたが、森川さんとはかなりたくさん話をした。なんといっても19時前から21時半前までの2時間半もの時間があったのだから。
森川さんは勢いがって面白いのです。ただ、富山弁がきつくて3分の1くらいリスニングが出来ず、ところどころ聞き取りと理解ができないところがあったのだが、あの独特な雰囲気は最高である。その勢いを例えると泉谷しげるである。泉谷と同じく森川さんも勢いがあって、「まー、飲めや!」とか言って酒を進めてくるのだが、「いや、僕あんまり飲めないので。」とお断りすると、「なんだ、お前飲めないのか!」(語尾に「だらしねーな」とつけるような勢いで)といい、「そっか、じゃー、じゃんじゃん食え!」というのだが、「森川さんこそ飲んでないじゃないですか!もっと飲みましょうよ。」というと、「いいんだよ。金持ちは酒のめねーんだよ。」と泉谷なみの弱腰で返すのである。
金持ち=酒飲めない
の方程式も意味不明なのであるが、、、。
そんなこんなで僕は、結局、オレンジジュール2杯、コーラ一杯、日本酒お銚子一本を飲みつつ、刺身や空揚げ焼きそばなんかをがつがつ食べた。三日間山に籠って身体を動かしまくっていたので食欲の塊と化していたのである。
一方で酒を進める森川さんは二時間半をかけてビールジョッキ一杯と青りんごサワージョッキ1/5ほどを舐めていた。森川さんはある意味下戸である。青りんごサワーに至っては、ほぼジョッキを握っているだけという感じだった。
越中ふんどし、酒と女とタバコとギャンブル→森川さん
だと、しっくりくるのだが、
混声合唱団、下戸、二十歳の娘のパパ=森川さん
というしっくりこない現実があった。
森川さんとは二時間半の間に校友会の話や大学時代の話、こうやって知り合いになれるのが校友会のいいところだよね。な〜んて言う話などをたっぷりした。と思う。1/3くらいの聞き取れない部分が違う内容だったのかもしれないが。
僕の隣の青山さんとも少し話をした。
彼は写真家でスタジオを経営していて、その関係で税理士の人と一緒に飲みに来ていた。
僕は青山さんにどうやったらうまい写真が撮れるんですかね〜?とありていな質問をして見た。青山さん曰く、「いいカメラ!いいカメラだと誰でも取れるから!D800(ニコンの最新の超高級カメラ)。」と言っていた。「え、D800買ったんですか?いいな〜。」「うん、誰でも撮れるから。」と言いつつ、ちょっとだけ「何を撮りたいかのコンセプトがないとだめだね。」というようなことも言っていたような気がする。(青山さんも酔っていたような感じだが、、。)
ま、ごもっともな意見である。いい写真と思った写真があったら、その写真の場所へ行ってその写真を撮ったカメラとレンズを用意して全く同じ設定で写真を撮れば似た写真が撮れるのだ。それが写真を上達する鉄則なのだ。
僕のダイビングのイントラが昔大阪芸大で写真家の講師をしていた経歴があるので、彼にも同じ質問を投げかけてみたら、「説明書読んでください。説明書通りにカメラのポテンシャルをすべて引き出せれば安物のカメラでもかなりいい写真撮れますから。」と言われた過去がある。
ま、つまるところは、いいカメラを使いこなせれば誰でもある程度うまい写真を撮れるという事である。というか、現在このブログで使っているニコンD5100を使いながら、「上位機種のカメラとレンズを使って撮った写真てやっぱ綺麗だよね。」などと配偶者と話していたりもする。そして、逆に「コンデジで撮った写真はやっぱ一眼にかなわないよね。」なーんて話していたりもする。カメラに懲り始めると、一眼レフの美しさに慣れて、コンデジが使えなくなってしまうのである。
青山さんの写真が載っている「写真ライフ2012年夏号」を店の大将が出してきてくれて、一部僕にプレゼントしてくれた。
36ページから39ページまで青山さんの写真と記事が載っています。
青山さんは自分の写真を開きつつ、「この写真どう?」(P36の写真)と聞いてきたので、思わず本音で、「どこにピントが合っているのかわからない。」と答えてしまった。あと、他の写真で、「これは普通に撮れそうだ。」とか言ってしまった気もする。かなり失礼な奴である。でも、P38の写真はうまいような気がした。というか、全体にうまいのかどうかよくわからなかった。
個人的にP36の写真は何故ISO1600まで上げてストロボを炊いて、1/20秒のスローシャッターにしたのか? (ストラボを炊くならISOをそんなにあげなくていいんじゃないの?とか、動いているところをボケさせるためにスローシャッターにしたのかもしれないが、そうすると全体的に動いた感じでピンボケっぽくなるのではないか?そういった感を出したければ、いっそのことP38のような感じの写真にした方がいいのではないか?とか、AF18-200のレンズ好きなんですか?どうなんですか、このレンズ。10倍ズームだと便利かもしれないけど、倍率が上がると暗くなるからもっと低倍率の明るいレンズを使わないんですか?などと、質問をバンバン浴びせたくなってしまった。)
面倒臭い質問をしたがる輩である。
そんな質問をしたかったのだが、青山さんは楽しく税理士の人と飲んでおり、僕は僕で森川さんと話をしつつだったので、あまり青山さんとは話が出来なかった。(まあ、青山さんは結構酔っていたような気もするし。)
ちなみにいただいた写真ライフは結構面白いです。きれいな写真がたくさん載っています。一眼レフのお手入れの仕方も載っています。
アオヤマスタジオ
http://www.toyama-smenet.or.jp/~aoyamast/index2.htmlカッコええHPです。
僕にとっては一眼レフのお手入れの仕方でちょっと参考になるところがあったことと、設定が書いてあるきれいな写真は非常に参考になります。たとえば、星をきれいに写したかったら、本に書いてあるように設定をしているのです。AFで撮ろうとしたら暗くてどこにもピントが合ってくれずきれいに撮れないのです。写真の本は設定を勉強する本なのです。
ジュースをたらふく飲んで、酒の肴を食べながら、「金持ち酒飲まない!」と豪語しつつビール一杯とりんごサワーをなめる程度の森川さんとのお話はとっても楽しく続いたのだが、バスの時間が押し迫ってきたのでお開きにすることになった。
(なお、他の話題としては、森川さんは鉄ちゃんで、京阪と西武が大好きとのことでした。理由は富山地鉄に京阪のテレビカーと西武レッドアロー号のお古が走っているから。とのことでした。僕も初日に地鉄に乗りながら「あ、あれテレビカーのお古やんけ!あ、今度は西武のお古もある。」と思ったりしていた。どうせなら今度は小田急ロマンスカーを購入していただきたい気がする。)
最後に森川さん、青山さん、お店の大将と一緒に写真を撮った。
そして、森川さんにはごちそうになりバス停に向かった。
日本酒お銚子一本でなんとなくほろ酔い気分で、駅の自動販売機でいろはす水を買ってバスに乗ろうとバス停で森川さんとバスを待っていた。
すると2日前に美女平で見かけた舶来の美女が彼氏同伴でやってきて、大阪行きの同じバスに乗り込んでいった。「おお!こんなところで再会できるとは!」と思った。まあ、それにしても、美女同伴で貧乏夜行バスかよ!大学生かな?と思ったりもした。ただ、僕自身既に眠くて舶来美女のことなどどうでもいい感じになっていた。
そんなこんなでバスの出発の際森川さんと握手をして別れて大阪へ帰った。
握手をした手は、さっき買ったいろはす水でびしょぬれの手だった。半酔っ払い状態だったがとっても失礼な握手になってしまった気がした。
翌朝大阪駅でまだ薄暗い中、駅の改札方面に向かって歩いていく舶来物の美女の後ろ姿が彼女を見た最後だった。
そんなこんなの剣立山森川さんの夏休み最後の旅でした。
森川さんありがとうございました。9月8日の総会ではお待ちしております。
※1)この文章にはかなりの先入観と空想が含まれております。ご注意ください。(2000年卒猿渡)
※2)文章がつながらないところがあるかもしれません。(1999年卒猿渡)
(この話はフィクションです。というかこのブログをアップしてくれているのは私の配偶者なので検閲が入るかもしれない、、、。憲法21条2項検閲の禁止と憲法19条思想良心の自由を主張したい!)
と、支部長は申しておりますが、いくつかチェックを入れて6行ほど切りました。
花の写真もあります。
北アルプスは高山植物の宝庫です。
8月末でまだこんなにあることが驚きです。

ハクサンフウロ

アオノツガザクラ

タテヤマリンドウ

チングルマ

チングルマの綿毛

ミヤマキンバイ

ウサギギク

ハクサントリカブト

イワツメクサ

イワカガミ
私、個人的にはアオノツガザクラとハクサンフウロとチングルマが大好きです。