2013年02月21日

大阪国際空港写真展

あちこちで展示されるようです。
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猿渡深雪で一枚あります。
娘と息子が写っています。
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2013年01月15日

2013年新年会開催

2013年新年会開催  2013年1月14日月曜日(成人の日)
於:心斎橋 美濃吉
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かつて毎年幹事会では忘年会をやっていた。
12月のくそ忙しいときに、わざわざ時間を割いて出席するのが正直言って煩わしかった。という反省も踏まえて、昨年は新年会を開いた。
今年も、新年会を開くこととした。
今年は初の試みとして、幹事会ではなく年賀状で支部会費を納めてくれている方をお誘いした。
幹事を含めて15人の方々が新年会に来てくれた。(なかなか盛況である。当初10人集まるかなと言っていたので。)
やれやれうれしい限りである。
毎年総会だけで会うというのも機会が少ないと思っていたので、新年会や昨年秋の旅行なども「アリ」だな〜。と思った会であった。
今日は、休みの市内という事もあり、お店はほぼ貸切り状態だった。
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また、5月か6月頃に何か催しが出来たらいいのかな〜と思っているところですが、どうなることやら。(北川さんからはダイビングのCカード取得ツアーを企画するように言われているのだが、、)
とりあえず、僕の任期も来年度までなので、うまく新会員の皆様に楽しんでもらえて、次への襷を繋いでいければと思う今日この頃です。
参加された皆さまお疲れ様でした。
幹事の山田さん大変お疲れ様でした。
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*PCが使えそうな人には写真をメールします。写真が欲しい方はメールをください。
 PCが使えなさそうな人には写真を郵送します。(猿渡が重い腰をあげたら)
 お楽しみに!

参加者(順適当)
森内氏 平岡氏 西中氏 北川氏 池田氏 相良氏 白木氏 若元氏 中野氏 中西氏 内藤氏 川見氏 中村氏 山田氏 猿渡
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2012年12月06日

平成24年東洋大学甫水会「近畿地区連絡協議会・就職活動フォーラム」

平成24年東洋大学甫水会「近畿地区連絡協議会・就職活動フォーラム」
12月1日土曜日14:30〜

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阪急梅田の新装イルミネーション

11月上旬、甫水会の方から就職活動フォーラム出席のオファーがあった。
校友会本部からも、校友会員の出席オファーがあった。
校友会員(OB)が就職活動フォーラムって、、、。
という感じである。
とりあえず、幹事会に声を掛けて、出席者を募ったところ、私を含めて8人が出席することとなった。

14時45分からアトランタブレーブススカウト担当の方の講演があるという事で、私はそこから出席した。
会場にはぴったり14時45分に到着した。
70人ほど入る会場の席は9割方埋まっていた。
一番後ろで空いている席があったので、既に会が始まっている中静かに座って式次第をみた。
来賓紹介に校友会 宮内和歌山県支部長と猿渡大阪支部長の名があった。
「やべ!俺遅刻しちゃまずかったかも、、、、。」と思ったのだが、宮内支部長に至っては欠席していた。そして、なぜか式次第に載っていない京都の佐藤支部長がいた。
式次第に佐藤支部長の名前を載せて、挨拶してもらえばよかったのに、、、。な〜んて思ったりした。
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17時30分までいろいろな講演が続いた。
途中トイレ休憩も無くである、、、。
個人的には何度か席を立って外に出た。
講演の内容については、卒業生にとって、、、、、、。という感じだった。

就職活動でどちらかと言えばうまくいかなかった部類の人間で、そして、先月会社を辞めたばかりの私が言うのもどうかと思うが、就職できるかどうかなんて本人の問題だと思っていたりする。
12月1日から大学3年生の就職活動が解禁されたが、内定を取れるかどうかはその人次第だろう。
社会保険労務士として、こういう人材を選ぶべきで、こういう人材を選んではいけないという事はかなり勉強しているので、解っちゃいるのだが、果たして私が大学を卒業した2000年時点で、私は採用に値する人間だったかというときっとそうではなかったと思ったりもしています。
就職もいろいろとあります。
学生には卒業後、何処でもいいから会社に潜り込んで社会人になって、社会人を経験してもらいたい。「会社人」ではなく「社会人」を。
そして、勉強してもらいたい。
きっと私自身大学時代よりも、会社員になってからの方がよっぽど勉強した気がしています。とはいえ、資格試験の勉強のウエイトが高かったというのも問題かもしれないが、、、。
失敗しながら本当にやりたいことを探すのも人生かも、、、。
と思っています。

  もう、一生安泰な会社なんてないですよ〜。
  生きるも死ぬもあなたの実力と努力次第ですよ〜。

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講演会が終わって、会場をかえて懇親会があった。
立食形式だった。
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校友会のメンバーが集まって、世間話をしつつの2時間だった。
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途中校友会支部長からの挨拶と、中締めの依頼をされたのでやってみた。
壇上で話すのには慣れてきたが、なかなかうまく話すのは出来ないな〜。と思ったりした。

そんなこんなで、終了後京橋の喫茶店で軽くお茶を飲んで帰りました。
ちなみに、それが幹事会で、来年1月19日土曜日の昼に心斎橋美濃吉で新年会をやろう!
幹事は山田さんね。
という事を決めました。
詳細はもう少ししたら幹事会にはメールでお知らせし、活動ブログにも掲載し、校友会費納入者には年賀状でお知らせする予定をしております。
posted by 猿渡 at 09:25| 大阪 ☁| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月26日

平成24年度 事務担当者会議出席 と ホームカミングデー

11月22日木曜日 14:00〜
至 東洋大学甫水会館 2階会議室
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2度目の事務担当者会議である。
昨年は、子供が生まれるかもしれないとのことで日帰り参加だったが今年は1泊2日での参加である。
昨年参加した際は、フツーにジーパン姿で参加したのだが、今年は朝から会社員時代にお世話になった人の所に挨拶に伺ったためスーツ姿で参加をした。
午前中仕事でお世話になった人に会って、13時くらいに大学についたので、早すぎると思いつつ、甫水会館の会場にカバンを置いて大学の方に行ってみた。
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正門から円了の方に向かっていくと、鹿児島の西元さんがいて声を掛けられた。
一年ぶりである。
西元さんは昨年の事務担当者会議でたまたま私の隣が隣に座り、それをきっかけに懇親会でもよくお話をしたりして、知り合いになっていたのである。
彼は、鹿児島で広告やウエブのデザインをしているプロのカメラマンである。
昨年同様彼の肩には、キャノンの5Dのカメラがぶら下がっていた。(さすが本職)そして、僕の方にはニコンのD5100。(さすがアマちゃん)
西元さんとは、明日125周年式典をする建物がまだ工事中で、クレーンや材料が周りに積み上げられており、窓にはシールが張られていて、入り口前の松の木が植えかけなのを眺めつつ、これで明日記念式典が出来るのだろうか?などと話をしていた。
そんなこんなの会話をしつつ、甫水会館の会議室に戻った。
西元さんと並んで座ろうかと思ったら、ほんのりブロックごとに座った方がいい感じだったので、近畿東海ブロックの席に座った。
ほどなくして、富山の森川さんがやってきたので、森川さんが私の斜め前に座って、私と話をしたりした。夏以来、毎月なんやかんや言って大阪府支部の人と交流していますね〜。なんて内容である。(8月は私が富山に遠征。9月は森川さんが大阪府支部の支部総会に。10月は大阪府支部婦人部主催で富山旅行に。そして、11月は大学で会っているのである。)
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14時から会議がスタートした。
今回は、今年からスタートした新会計制度の会計事務についての意見交換をするという感じだった。
ブロックごとに分かれて、問題点がないかなどを洗い出して、発表するという感じだった。
ちなみに、私は昨年度に支部長になり始めて作った会計資料が今回の物だったので、他を知らないので何ら問題もなく、意見もなかった。それよりも、今度初めて確定申告をしなければいけないことが気がかりで仕方がない。
問題点の質疑応答という、何ともあいまいな議題だったので、さほど会議が紛糾することもなく、なんとなくいつもより早めに会議が終わって懇親会になった。
ちなみに、毎度毎度来るたびに思うのだが、本部の会計担当をされている武田財務部長は出来る子だなー。と思ってしまうのである。そして、愛知の西垣さん(税理士行政書士)も出来る子だなー。と思ってしまうのである。(二人とも私の親ほど年が離れているのだが、「出来る子」扱いで申し訳ない。)
大阪でも、武田さんや西垣さんのような士スペシャリストの先輩がいたらいいのにな〜。と思う今日この頃である。(自分がならなければいけないのだろうが。)
会議が終わったら懇親会である。
もう、2年目なので誰かしら話す相手はいるのである。
といっても、やっぱり富山の森川さん、鹿児島の西元さんが話やすく一番話していた気がする。といいつつも、昨年大阪府支部の総会に出席してくださった須藤さんともかなりお話をした。(でも、本当に一番話したいのは、校友会の事務員さんの清水さんと遠山さんだったりするのである。若干セクハラかも。)
こうやって、色々と知り合いが増えて話が出来て校友の輪が広がるのが、校友会に参加する意義なのかな〜。しかも、東京に来るのに旅費交通費も出てこられるのだからいいね〜。という感じである。
そんなこんなで、懇親会も終了し、森川さんが20時の電車で富山に帰るという事で、私は19時半から会社員時代の上司にプチ送別会を開いてもらうという事で、お互いの時間つぶしのために、上野駅の喫茶店で1時間ほどお茶をした。
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森川さんは相変わらずのテンションで、懇親会でもビール片手にちっとも飲まずにいい感じでした。そして、上野駅ではコーヒーをごちそうしていただき本当にいい先輩です。
その後、私は元上司とお酒を飲み一日目が終了した。

2日目(11月23日金曜日)
全国的に勤労感謝の日である。
会社を辞めてつくづく思う事だが、国民の3大義務の一つ「勤労」には感謝しなければならない。(ちなみにあとの二つは、「子女に普通教育を受けさせる義務」と「納税の義務」である。)
11月23日は朝から雨だった。しかも、今シーズン一番の寒さという事だった。
コートを持ってきていなかった僕は、仕方なくワイシャツの下のアンダーウエアの上に昨日着たアンダーウエアを重ね着して乗り切ることにした。
10時半に御茶ノ水のホテルを出たら、やっぱり寒く、冷たい雨が降っていた。
なんとなくお茶の水から小川町の方へ降りていく途中のベローチェで朝ご飯代わりのコーヒーとパンを食べた。ここは、大学時代当時お付き合いしていて、今私の主人(配偶者)になった人とよく来たお店である。懐かしいな〜。と思いつつ一人で、コーヒーでパンを胃に流し込んだ。
食べ終わったら、溝口の伯父の自転車屋に行ってみることにした。溝口は大学時代4年間下宿していたところである。
神保町から半蔵門線直通東急田園都市線に乗り、二子玉川で乗り換えて溝口(高津)に向かった。
最近会社を辞めて、色々と悩むところが多かったのだが、二子玉川で乗り換えて多摩川の河原を駅から眺めていたら、大学時代のことを思い出してなんとなく前向きな気持ちになれた。
大学時代は毎日乗り換えていた二子玉川園の駅で、当時はお金もなく何も持っていなかったけど、かなり前向きな気持でなんにでも頑張ることが出来ていたのである。今はなんとなく人生守りに入ってしまっていて、負けることにおびえているような感じがすることに、なんとなく気が付いた。あまり悩まないで出来ることをひとつずつこなしていけばいいのかな。という気持ちになれた。
伯父の自転車屋さんで久しぶりに会って話をして、その後大学のホームカミングデーに行った。
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ホームカミングデーには、東洋大学の書道の授業だけ教員免許取得のために通っていて今もお付き合いのある2歳上の友達の女性とともに行ってみた。
彼女は立教大学卒業なので、東洋大学にはあまり思い入れはないのだが、無理やり一緒に行ってもらった感じである。
23日はホームカミングデーよりも、125周年記念棟の落成式がメインだったのでしょう。我々外野の人間は、125周年棟の記念式典に飛び入り参加はさせてもらえないので、ホームカミングデーの方を覗きに行ってみた。
ホームカミングデーは、雨の中何をやっているのかよくわからない感じであった。
もらった紙(別紙参照)の通りの催しをやっていたみたいだが、あまり面白そうでもなかった。きっと、16時からの懇親会に出席して、なんとなく和気あいあいとしたら楽しかったのかもしれないな〜。と思いつつ、14時という中途半端な時間に行って、我々は速攻で帰ってしまった。
その後、私と友人で上野のスタバでお茶をして、お土産に昇龍のジャンボ餃子と崎陽軒の焼売を買って飛行機で帰路につきました。
翌日なぜか大阪から参加していた方からお電話をもらい、たまたまその方がホームカミングデーで話した北見の方が、前日猿渡が事務担当者会議に来ていたよ。と聞いたそうで、「うちの猿渡は支部長であって事務担当者じゃないよ。」と言うような話をされたそうだが、私は正確には、事務担当者でありながら支部長なので参加していましたよ。という話をした。それにしても、北見の方はよく私を覚えていましたね。ま、あの会で一人だけ若造なので異質だわな。
そして、ホームカミングデーに出席した先輩からは、私がバザーに送ったお酒「秋鹿秋だし」がちゃんと落札されていたよとの報告もいただきました。
やれやれ、出品しておいてよかったよかった。
これも、下記のように本部の遠山さんから大人な対応のメールをもらっての対応だったのですが、ちゃんとやっといてよかった。だって、大阪から遠路はるばる来て、おらが町の支部長はちゃんとバザーに出展しとらんじゃないか!と思われたらかっちょ悪い感じになっていたことでしょう!

以下 本部遠山さんからのメール。
(ちなみに、このメールは私からの「バザーって、出してもあんまりメリットない気がするけどやっぱ出した方がエエの?」という子供じみたメールに対しての、大人の女性の対応の例としてとらえてください。)
大阪府支部 猿渡様

お世話になっております。
校友会事務局の遠山です。

校友会バザーの件ですが、
校友会としては、なるべく多くの支部に
わずかでも協賛していただきたいと考えています。

個人の意見としては、支部の事情もあると思いますので、
無理のない判断で良いか思います。
支部長として、悩み事が多いことと思いますが、
今後ともよろしくお願いいたします。
posted by 猿渡 at 16:30| 大阪 ☁| Comment(1) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富山支部との交流旅行

富山支部との交流旅行            西中 節子
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 H24年10月11日〜12日に支部便りにて募集した富山支部との交流会を兼ねた富山旅行に行ってきました。朝、お天気 はまずまず。息子が休みだったので駅まで送ってもらう。切符をだそうとバッグ を探しまくるが無い!うそでしょ!そういえば、昨日バッグを大きめのものに変更したんだっけ。急いで家に電話。寝ていた娘が出てくれた。タンスの中のバッグを見てもらう。切符あるよ。なんで忘れるん。と冷たい言葉。とにかくお兄ちゃん帰ったら渡して、と言って切る。息子に電話。出ない。携帯持たずにいるらしい。どこかに行かれたらおしまいだ。しかたなくタクシ−に飛び乗る。途中 で娘から兄貴が帰ってきたという。タクシ−降りて待ってるとやっと来てくれ た。早く駅へ。もうだめかもしれない。頭の中はパニック 。携帯持ってきた息子が電車の時間を検索してくれた。大阪駅直行の快速がある から、それに乗れたら間に合うけど、次の天王寺乗り換えだとアウトだなと言う。車降りて階段ダッシュ。快速に間に合った。大阪駅に着いてからもサンダ−バ−ドの乗り場探してロスタイム。やっと着いてみんなの顔見えた途端力がぬけました。

 電車の楽しみ はやっぱり駅弁ですよね。車内販売のお姉さんに聞いたら無いと言う。車掌さんに尋ねると金沢に8分止まるというので、金沢に着くや売り場にダッシュ。店員さんが手を交差している。何?まさかの売り切れ。結局富山駅で買い求めました。

 富山駅では富山支部の皆さんが3台の車で出迎えてくれました。さっそく卒業生の杉田さんが館長の三島由紀夫記念館へ。
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杉田さんは三島由紀夫をこよなく愛し、自費で記念館を建てられたそうです。d1211koyu1.jpg
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先輩方は リアルタイムで三島由紀夫という人物を見てたと思いますが、はずがしながら私は1冊も小説を読んだ事も無く、山口百恵が主演の映画書いた人かあという感じでした。数々の資料や映画のポスタ−が展示されており、三島ファンの方は必見です。貸切りでしたので、ここでお弁当を頂きコ−ヒ−までごちそうになりました。

次に、立山博物館に案内して.頂き、立山の歴史など興味深見学。
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 夜は富山支部の皆さんとの楽しい交流会。
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会場は卒業生が女将の割烹佐阿美。こちらは9名、富山支部からは12名参加してくれました。半数の方は昼からご一緒でしたので、話も盛り上がり、食事もおいしくあっという間に時間が過ぎました。富山支部の方々は地元の絆が強く、先輩・後輩の掛け合いがとても面白く、ちょっと大阪にはない雰囲気があってうらやましかったです。箱根駅伝にも応援に行ってるそうで、いいですね。

 翌日は足を延ばして、岐阜の白川郷まで連れていってもらいました。

個人的に冬には1度訪れた事がありますが秋は初めて。残念ながら紅葉はまだでした。それに、富山といえばます寿司。昼食にますのすしミュ−ジアムレストランにて会席いただきました。満足!
最後は薬の歴史を学べる広貫堂資料館へ。
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帰り際には、お店をされてる玉森 さんと金三津さんからおみやげまで頂き、翌日ゴルフコンペのため残る平岡さん と富山支部の方々に見送られ帰路につきました。2日間運転してく ださった森川さん、中條さん、吉岡さん、一緒に案内してくださった渡辺さん。 初日ご一緒だった本庄さん、宮崎さん、堀田さん。それから吉田支部長、お世話 になりました。なにより、すべての行程を考えてくれた森川さん、本当に感謝・ 感謝です!富山支部の方々はいい人ばかりでした。
posted by 猿渡 at 12:04| 大阪 ☔| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

池田遊子展

哲学科卒の池田方彩さんからのお知らせです。

2012年10月3日(水)〜28日(日)
The遊子展ー墨戯の世界
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開催場所地図拡大


2012年10月9日(火)〜12日(金)
池田遊子展
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2012年10月19日(金)〜28日(日)
思索する彫刻家ー遊子展
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開催場所地図拡大


posted by 猿渡 at 22:36| 大阪 ☁| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月10日

2012年東洋大学校友会大阪府支部総会

 やっと終わった。
 やれやれ、これでやっと自由の身でかも、、、。
 
9月8日土曜日16時〜 ヴィアーレ大阪にて総会を行った。

当日は私の段取りが非常に悪く、ミス連発もあったが何とか終了できた。
というか、時間さえ来れば嫌が応でも終了するのである。
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一部では去年に引き続きスベッてしまった。
スベるのは織り込み済みだったので、まぁOKだったでしょう。
本部の虎の巻の進行通りに黙祷の後に支部長挨拶というと流れだと面白話もできないのである。しかも緊張しながら話しているし、うだうだ話になってしまうのである。まあ、今となっては思い出したくもないの過去である。
私の後に兵庫県支部の金澤さんはきっちりと当たり障りないコメントを喋ってくれていたと思う。ありがたやありがたや。(私の後の金澤さんと、本部の鈴木さんの話の間、決算予算について必死に予習をしておりあまり聞いていなかったのです。申し訳ない。)
金澤さんには木曜日の夜、自宅に電話をして挨拶のお願いをしようと思ったところ不在で、金澤さんのお母さんが出てきて「すいません。うちの子が〜いつもお世話になっていて〜、うちの子が挨拶なんてそんな大それたところでお話なんかできる子じゃないんですけど大丈夫ですか?ご迷惑をおかけしなかったらいいんですが〜。もう、本当にお世話になりっぱなしで〜。」などと言われたりしていた。金澤さんのお母さんは私の年齢を知らないのでそんな感じで申し訳なさそうに言ったのかもしれないが、私は金澤さんが大学を卒業した時にはまだ生まれてもいなかったんですけど、、、。というか、お世話になっているのは明らかにこちらの方なんですけど、、、。な〜んて思っていたりした。(こんな話だけして、受けを取って金澤さんにプレッシャーをかけて挨拶を終わるのが今となってはベストな選択だったのだろうと思います。)
今回は、金澤さんと後の鈴木さんのスピーチから大きなことを学びました。(和歌山の宮内支部長に言われたことでもあるのだが)『だらだらしゃべらない。』というのが、一番ではないかと思いました。あまりしゃべりすぎるとバカがばれる。という事を今回は学びました。来年は簡潔にして無意味なことを話して終わってやろうと思います。
そして、私の本音としては、校友会でのスピーチはハッキリ言って来る本番での練習台だと思っていたりします。まあ、本番が何かと言われれば、総理になったときの所信表明演説が本番かな。と勝手に寝ぼけていたりします。(とはいえ、校友会の支部長はスベろうが失敗しようが大した問題はないのだが、おそらく順調にいけば行政書士会か社労士会で若手のうちに何か役職が回ってきそうな気がするので、そこでの失敗は許されないと思っていたりします。あと、校友会本部で何かしゃべらなければいけない機会があるかもしれないので、そこでスベると大阪の若造は馬鹿造とばれてしまうのでそれだけは阻止しなければいけません。)
今年は、私以外に誰もだらだらと喋らず、予算決算の報告も私が独り言をつぶやいて総会は1時間のスピード終了をしてしまいました。
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二部は懇親会である。
ハッキリ言って、懇親会で仲良くなることが校友会として大事である。
一部の総会は『前座』である。(極端だがみんなそうでしょう。総会は面白くないし。)
まあ、支部長になる前の私も、総会の内容なんかちっとも覚えてもいないし、予算決算がどうなろうが興味はなかったので皆もほぼ同じでしょう。(とはいえ、宮内さんと金澤さんから繰り越しの書き方について指摘を受けたので見直さなければと思いました。)
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二部は約1時間前倒しの17時から始まり、30分前倒しの19時30分に終了しました。
大阪市議会議員の多賀谷先輩の乾杯の挨拶で始まった二次会は、途中から恒例の自己紹介をし、最後に校歌や応援歌を富山支部の森川さんの主導で行い盛り上がれたのではないかと思います。
先月富山で森川さんに会った内容のブログで、私はかなりの音痴であることをカミングアウトしたにもかかわらず、大声で応援歌を歌ってしまったりしました。
私、校歌は歌えないのですが、応援歌は歌えるのです。
「猿渡、あいつ大声で応援歌を歌ってたぞ!よっぽど東洋好きなんだな。」と愛校心の塊だと思われるかもしれないのですが、単に大学時代山に登っている時にみんなで歌っていたので知っているだけなのです。ちなみに我がの配偶者は東洋大牛久(個人的には「トーヨーパラダイスモーモー」と言っている。語源は関東地方にあるしゃぶしゃぶすき焼き食べ放題のモーモーパラダイス牧場である。)出身なので、高校時代から何かあると歌っていたらしい。私自身には若干の愛校心があり、社会に出る前の産湯を浸からしてくれた大学に恩返しでもするか。くらいの気持ちで支部長を始めたのですが、1年半やって既に恩を返しすぎているので、返しすぎた恩を精算してくださいと思ったりしている今日この頃である。

出席してくださった方々には貴重な時間を割いての出席ありがとうございました。そして、私自身一万円の費用を払ってのお仕事お疲れ様でした。あわせて自腹を切ってお仕事をしてくださった幹事の皆さまもお疲れ様でした。
校友会では皆様の出会いの場を提供できればと考えております。私の役割はそのための潤滑油としてのお手伝いかと思っております。(なんで金を払ってボランティアをしなければいけないんだ〜。と思う事も多々ありますが、これがそのうち目に見えない無形文化財的な何かに変わるはずだ!と言い聞かせてやっております。)
今年出席してくださった方々には是非ともまた来年も出席してくださることを期待しております。あわせて、毎年のことながら支部総会中はバタバタとしており、皆さまとあまりお話が出来ず申し訳ございませんでした。出来る限り皆様とお話を出来るようにと心がけてはいたのですが至らないところが多く申し訳ございませんでした。
今後の校友会は支部会員が増員されていき、いずれは支部長の座を勢力争いによって奪い取るくらいの会になってくれるといいな〜。とまたまた寝ぼけたことを思っていたりします。

最後に懺悔をします。(重要な本当の懺悔です。)

(その1)
祝電紹介する事を忘れちゃいました。
祝電をくれた羽島会長、福島元会長申し訳ありません。全文を下記に書きますので皆さん読んでください。

(その2)
本部から「総会の時に流すように!」といって代議委員会の時にあてがわれた箱根駅伝のDVDを会場まで持って行ったにもかかわらずスッキリ忘れて流し忘れちゃいました。
ごめんなさい!(私もいまだ見てもいないのですが。)
このDVD見たい方は連絡をください。送ります。

<祝電>

(羽島会長より)
支部総会の開催をお祝い申し上げます
一人ひとりの母校への思いが
校友会と大学の発展につながります
ご盛会をお祈りいたします

校友会は校友の心のよりどころです
支部役員の皆様方のご尽力に感謝いたします
東洋大学校友会
会長 羽島知之

(福島元会長より)
お祝い
支部総会のご盛会をご祈念申し上げます。
和をもって、目的を達成する支部長をはじめ、全会員が尚一層、支部発展にご尽力されますことをご期待いたします。
オール東洋スポーツマンクラブ
会長 福島良一

羽島会長、福島元会長祝電ありがとうございました。
私「猿渡直人」が『和をもって、目的を達成する支部長』です。
どうぞ、皆さまでツッコみを入れてください。
ああ、辛いな〜。昨日も平岡さんや鈴木さんが中途半端に僕を持ち上げていたんですよね〜。あれ、応えるわ〜。宮内さんに持ち上げて落とされる方がよっぽど楽やわ〜。と思っちゃいました。
褒める=もっと頑張らんかい!
って感じだもんね。

総会では写真をぎょーさん撮りました。猿渡君が撮影した皆様の赤裸々な一面を近日送らせていただきます。(全部で200枚くらい撮ったので、写真何枚かをおうちプリントして残りはCDに入れておくります。)
乞うご期待!

出席くださいました皆様ありがとうございました。
本部から出席してくださいました鈴木さまありがとうございました。
兵庫県支部長の金澤さま、和歌山県支部宮内さま毎度ながらにありがとうございました。今後とも大阪湾岸つながりで連携してくださることを期待しております。
そして、富山から遠路はるばるお越しくださいました森川さまには本当に場を盛り上げていただきありがたく思っております。当然のごとく来年も出席されることと思いますので、またの校歌斉唱を楽しみにしております。そして、来月は大阪府支部主催で富山侵略が計画されておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
posted by 猿渡 at 09:20| 大阪 ☁| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月05日

函館旅行と函館支部高田次期支部長・小笠原幹事長との会談


 本当は石垣島の森内邸(支部だよより参照)に遊びに行きたかったのだ。しかし、ANAのマイレージ不足で石垣旅行をを断念し、沖縄本島の美ら海水族館に行こうと思っていたのにそれも特典航空券が取れなく断念し、ならば北海道という事で、どうせならば稚内に行きたいと思ったのだが、それもマイレージが足りず断念。道東に行こうかと思ったが、生後8か月の子供をレンタカーで転々と移動するのは無理だろう。と配偶者からいさめられて断念。結局は、小学1年生の娘が大好きな温泉でゆっくりできそうなところ。という事で紆余曲折の末函館に訪問することとなった。

 函館支部はまじめに校友会活動をやっている支部である。
 我が大阪府支部がホームページを立ち上げた時と同時期くらいから函館支部もホームページを立ち上げているのである。しかも、函館はきれいな街なのできれいな写真をふんだんに使っていい感じに作っているのである。 ということで、かなり昔(5年以上前)に函館支部に「リンクを貼ってもいいですか?」メールを流していて、その時にメールでやりとして以来のやり取りで、函館に行って高田次期支部長に会うことになった。

7月24日(火曜日)関西空港8時50分の函館行全日空機に乗って函館に向かった。
 それにしても、関西空港は遠いです。我が家から伊丹空港まで徒歩15分なのに1時間半の時間と片道1900円のお金を払っていかなければいけないのです。ハッキリ言ってこんな時間と金のかかるところに行くくらいだったら、東京、九州ならば新幹線で行こうという気持ちになってしまいます。関西空港を発展させたかったら、空港バスと空港行きの列車の運賃をタダにするくらいの政策をしなければだめだろうと思います。
 関西空港に行くのは、東京の人に国内線に乗りに成田に行ってくださいというようなもんですから!
 それはさておき、関西空港で高田さんへのお土産を買った。北海道に行くので「面白い恋人」を持っていきたかったが、面白い恋人は裁判に負けて以来なくなってしまったので断念し、大阪らしいくいだおれ人形クッキーを買っていった。(こちらも今は亡きくいだおれなのだが、、。)
 
 関西空港から函館行の全日空機はかなりすいていた。1/3は空気が乗っていた感じである。
 ということで、配偶者と生後8か月の息子、小学校1年生の娘で3人掛けの席に座り、私は反対側の3人掛けの席の窓側に一人で座って函館に着いた。
 15年ぶりの北海道である。実に大学3年生の夏以来の北海道である。
 すがすがしい涼しくて済んだ空気!と行きたいところだったが、函館も30度弱の夏の天気で意外と暑かった。
 「ここが北海道だ〜〜!」と行きたいところだが、函館はもっとも本州に近い北海道で道央や道東のような地平線が見えそうな北海道らしい北海道というよりも、こじんまりした港町という北海道なのである。

函館空港からとりあえずバスに乗った。
 今日から3泊4日で湯の川温泉の「万惣」というホテルに泊まるのである。私も函館に行くことになるまで知らなかったのだが、函館には湯の川温泉という温泉地があったのである。湯の川温泉、、、、。川湯温泉は知っているのですが、、、。という感じだった。ハッキリ言って函館の観光地としてPRの不作為である。いい温泉なのに全国にさほど知られていないなんて、、。湯の川温泉は、某温泉地のようにすぐそばにエロエロしたところの無い良い温泉地だった。特に宿泊した万惣はハッキリ言って、この近辺の温泉ホテルの中で群を抜いて安価なのだが、全くもって問題なく満足のできるホテルだった。(フロントのお姉さんは長身で美人だったし。当初は、きっとぼろホテルで全室お化け出没します。くらいの感じかと思っていたのだが、いい意味で裏切られた。なお、お化けは出ませんでした。)
 函館空港からバスに乗って、10分ほどで湯の川温泉のバス停に着いた。
 海沿いの道でバスを降りてホテルを探した。
 湯の川温泉は、海沿いの近代的な高級温泉ホテルと、路面電車の駅に近い古手の温泉ホテルに分かれているようだった。

 我々家族が泊まったのは、路面電車の駅から3分ほどの場所だった。
 海沿いのホテルは、目の前の海水浴場で泳げたり、屋上露天風呂があったり、海を挟んで函館山がみられたりというメリットがあるようである。
 我々は、風呂に入って寝るという目的なので、景色にはこだわらないのである。海水浴も泳ぐのには寒いのでどうでもいいのである。
 バス停から5分ほどで万惣についた。近い!
 まだ朝の11時過ぎなので万惣に荷物を置いて観光することにした。

 とりあえずは、小雨だったが五稜郭に行ってみることにした。路面電車で10分弱である。
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 路面電車の一日乗り放題券600円を買えばその日一日乗り放題の上に、提携先のお店では割引がされたりとメリットがあるのである。
 五稜郭は大学2年生の時に行って以来である。というか、今回の旅行では恵山以外は大学時代に行ったことがあるところの焼き直しなのである。
 大学2年の時に先輩と二人で五稜郭に行ったときは、二人とも幕末のことについて全く興味がなく「ふ〜ん」程度だった。今回は、配偶者が興味津々みたいだったが、私も子供も「ふーん」だった。
 当然新しくなったという五稜郭タワーにもおのぼりさんなので登ってみた。「うわ〜、高〜い。木戸銭が。」という無粋な感想と、このお堀の形って雪印のマークみたいでデザインとしては素敵だけど、攻められやすい形だよね。という感想だった。
五稜郭の中に入っていくお堀の所には、15年前にウミネコがいて、「あ、あそこのお堀に15年前にウミネコがいた。」と言いつつ行ってみると、やっぱりウミネコがいた。長生きである???
 そんなこんなで五稜郭を見物して五稜郭前のあじさいラーメンを食べて次はとりあえず函館駅近辺に行ってみることにした。昼だけど朝市にでも行ってみるか?もしくは、退屈だったら金森倉庫でも行くか。という感じだった。
 
五稜郭から函館駅前までは路面電車で20分位だった。
 久々の函館駅は立て替えられていて昔の面影はまるでなしになっていた。レンガ色の三角屋根の駅舎からうわっ面近代的な駅舎になっていた。(ホームは昔のままなのに)
 函館駅傍の朝市を見てみた。カニやウニ、イクラなどの海の幸がふんだんに売られているのである。配偶者は涎ものみたいだったが、魚介類があまり好きではない私は「別に」といった冷めた感じだった。
 朝市をちらっと見ていたら、向こうの方に摩周丸が泊っていて、青函連絡船博物館になっていた。これは15年前にもあったが、中には入らなかったので行ってみることにした。
 木戸銭を払って船内に行ってみた。操舵室なんかがみられてかなり面白い感じの展示になっていた。うろうろしていたら雑魚寝室があったので、だらだら寝転んだりしていたら連絡船博物館の人(佐藤幸雄さん。大学のサークルの先輩と同姓同名だ。)が見回りに来て、一年生の娘に船のロープの結び方などを教えてくれた。すごい!面白いのである。
 結び方を教えてくれて佐藤さんはまた見回りに行ってしまった。
 結局ロープで遊んで、最後に無人販売でつるされていた100円の摩周丸のロープを買った。
 娘がロープを持って歩いていたらまた佐藤さんに会った。娘が「ロープ買ってん。」といって見せたら、今度は違うロープの結び方を教えてくれた。お祝い用のきれいな結び方である。すごい!きれいだ!と100円以上の価値を感じて大満足な摩周丸であった。

 摩周丸から出てきたら17時前だった。
 小雨の中もう少し出歩くか、何か食べに行ってホテルに戻るか、という事になり、とりあえず函館駅に行ってみた。
 別に何も見どころはないのだが、函館駅の2階に行ってみた。
 レストランがあったので、あまり味は期待できそうになかったが、好き嫌いが多いお父さんと娘さん、魚介類が食べたいお母さんとなんでも口に入れて飲み込む0歳児のとりあえずの期待に添えそうな感じだったので、そこで早めの夕食を取ることにした。
 ちなみに私はかつ丼。配偶者はイクラと鮭の親子丼。一年生の娘さんはお子様ランチ。何でものみ込む0歳の息子さんはそれぞれのとりわけを食べた。
 予想通り期待を裏切らない期待していない程度の味だった。

 食事をした後はまた路面電車に揺られて湯の川温泉のホテルに戻った。
 18時前にはホテルに到着した感じだった。
 ホテルに到着したと同時位に、函館の高田さんから電話があった。
 「もう食事もしたのでいつでも会いに来てください。」と言ったら、「早っ!」と驚かれていた。高田さん曰く20時くらいに来られるとのことなので、それまでに交代交代で温泉に入ることにした。(0歳児のお守りがあるので)
 まずは温泉大好きな娘さんと配偶者がルンルン気分で温泉に浸かりに行っていた。私と0歳の息子さんは部屋でお留守番である。なお、私は別に温泉好きでもないのである。大学時代お風呂のない家に住んでいたので、腐るほどお風呂屋さんにも通ったし、東洋大の朝霞に通っていた時は、毎日昼休みにコミセンの水しか出ないシャワーを浴びていたので外のお風呂は一生分経験したのである。(ちなみに、コミセンでシャワーを浴びた後の僕は、友人に「猿渡、風呂上がりのシャンプーのいいにおいがする。」と言われていた。もしかしたら男性フェロモンをくすぐる男性だったのかもしれません。きっと大学にシャンプーとバスタオルを毎日持って行っていたのは私くらいのはずである。)
 配偶者と娘さんが温泉から出てきて、私一人で大浴場に行った。0歳の息子さんは部屋のユニットバスに入ってください。という事なのである。
 普通にお風呂に入って身体を洗って部屋に戻ったら、配偶者から「高田さんから電話があって、『ロビーにいるから来てね。』って言われたわよ。」と言われた。
 あら、まだ19時半くらいなのに気を使って早く来てくれたのね。という事で行ってみた。
 といっても、会ったことのない人なので顔がわからないのだが、向こうもきょろきょろしていたのですぐにわかった。
 
高田先輩の第一印象は若干元日ハムの小笠原に似ているという感じだった。そして、事務局長の小笠原先輩(元日ハムの小笠原ではない。)も一緒に来られていた。
 本当にすいません。こんな生意気大将の若造に会いに来てくださって、、。という感じである。しかも、お土産は一個しか買ってこなくて申し訳ありません、、、、。本当に申し訳ないという感じだった。

 高田先輩はメールでやり取りした人で、来年からは支部長職が内定しているとのことでした。小笠原先輩は事務局なる肩書でした。
 なんじゃ?事務局とか事務局長とかいう肩書は?と毎度のことながら思ってしまったりする。大阪府支部にはそげな役職はないんだけど、、、。と思うのである。
 どうやら、支部長は支部長の職責を果たして、事務局は事務をするとの事みたいである。
 いいな。その制度。大阪府支部の先輩に事務やっといて。って丸投げしても、「どーやんの。あんたの方がパソコン使うんうまいやん。お前がやれや。」とか言われたり、「なんで俺がやらなあかんねん!」とか言われて、先輩を叱ってみたらしっぺ返しをされて、ただただ嫌な思いをして、タイムロスをして自分でやらなければいけないような気がしてしまったりする。それに、お金が絡むと、銀行通帳の名義が「東洋大学校友会大阪府支部 猿渡直人」になっていて、校友会は法人ではないため、結局のところ支部長名の通帳になっているため、万が一金の使いこみをされたら私個人で立て替えなければいけなくなってしまうのでなかなか難しいと思っていたりするのである。
 いずれにせよ、しっかり役割分担できていてうらやましい限りである。
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で、ホテルのロビー横のソファーで3人であーじゃないこーじゃないと2時間ほどお話をした。配偶者とお子ちゃまたちは最初に挨拶にだけ来て、お部屋で遊んでおいてもらった。本来なら配偶者は私の主人であり保護者でもあるので一緒に話をしてほしいところなのだが、お子ちゃまの面倒があるので部屋に戻っていたのである。なお、全然関係ないことだが、校友会での私は平岡さんの傀儡になっていると自覚している。メドベージェフ猿渡である。(ということは平岡さんの支部長復帰はあるのか??)
支部の現状と運営や世間話をたっぷりした。
まずは自己紹介からで、高田先輩は幹事長(これもよくわからん肩書だと思っているのだが)で昨年までは印刷屋さんをやっていて、今は何やら次の目標をたくらんでいるとのことだった。
小笠原先輩は花屋さんを営んでいるとのことだった。
どうやら小笠原先輩の方が高田先輩よりも先輩のようだったので、私から見たら配偶者も含めて、先輩の先輩の先輩の先輩が小笠原先輩という事になるようだった。(ややこしい文章だ。)
そして、函館支部長は別に柏葉氏という人がいるみたいであった。
ちなみに私の自己紹介は、今回支部の全員に送りつけたものと同じ名刺を出して、こんな感じです。という説明をした。
現在は、大阪府支部の支部長で、行政書士とファイナンシャルプランナー(AFP)であり、9月からは社会保険労務士としても活動したいと思っています。といった内容の自己紹介をすることが多いのだが、たいていの人はこの肩書きで「おお、すごいね!」と騙されてくれているような気がする。特に士業の肩書は士業の先輩が培ってくれたおかげである。私なんて、何回も試験に落ちてやっとこ試験に通った頭の悪い人間で、まだまだひよっこなんですけど会って話を聞いてくれるのはありがたいな。と思ってしまいます。士業にせよ普通の職業にせよそんなものは単なる肩書の一つなだけでどうだっていいものだと思うのである。それよりもそれを活かしていかに社会貢献をして感謝されているかが問題なのだとつくづく思っていたりするのである。

前置きはさておき、私の最近のホットな話題の支部だよりをちゃんと作っているかやホームページを作っていること、支部便りの発送やレスポンスなどについて話をした。
函館支部は、ホームページがかなりしっかり(といっても、ビルダーで作成したのが丸わかりだが)していて、美しいのである。もっとも、土地柄で美しい街なので美しく演出する要素満載なところをうまく使っていて、毎年の支部総会の様子も見られたりするように作られていたりするのである。そして、支部だよりもしっかり作られているのである。その上、支部総会にも結構参加者は多く、新年会や東都リーグの交流会、青森支部との交流など活発な活動を行っているのである。非常にエライな〜。と思ってしまうところである。それに比べて、私はとりあえず支部だよりと支部総会は何とかするから、西中さんと平岡さんで婦人部はよろしく。ゴルフは勝手にやっておいて。みたいな感じになっているのである。(ま、私は♂でゴルフはやらないので消去法で出来ることはこの程度なんですが。)
とはいえ、函館支部もそんなに卒業生はいないうえに、大学を卒業しても函館に仕事がないのでみんなUターンしてこないため、若手は少ないという問題点を抱えているとのことであった。
それについては、大阪府支部も同じなのである。私が30代なので若手の支部長で若い力でやっていてすごい!なーんてよく言われるのだが、単に駒がいないだけなのである。大阪も同じように高齢化して行っているのである。高年齢の先輩方が校友会に参加して頂けているのは非常にありがたいのだが、本音を言えば現在の参加人数の倍くらいの人数で20代から80代くらいまで各世代10人ぐらいづつコンスタントに出席してもらえると非常に安定感があって理想的だと思っていたりするのである。現状では校友会が年金負担世代を表した図のような形である。
なんといっても、大阪府支部の幹事は20代が1人。30代が私のみ。40代は3人、それ以降は50歳以上なのでお世辞にもバランスがいいとは言えないのである。幹事会に関しては、個人的に20代30代が中心になってくれるのが理想的だと思っているのである。若手が執行部(実働)をして、汗をかてい先輩とコネクションを作るのが今後の人生の糧になる校友会活動ではないかと思っているのである。ちなみに私の所属する行政書士会の豊能支部は若手が執行部となっていて、ベテランはお目付け役のような立場で見守ってくれて廻している感じがしていたりする。
そんなこんなで、色々な話を22時くらいまでしました。
わざわざホテルまでお越しくださいましてありがとうございました。高田先輩と小笠原先輩には感謝しております。

部屋に帰ったらまだみんな起きていた。
今日は朝5時起きなのに元気である。疲れているのは親の方である。
電気を消してすぐ寝ました。明日は恵山にでも行ってみるか。

翌日朝起きてすぐに配偶者と娘さんは朝ぶろを浴びに行った。
食事をしてレンタカーを借りて恵山に行くことにした。
レンタカーは2日間借りて、今日は恵山、明日は大沼公園に行こうという事になった。

ホテルのフロントの長身美人のお姉さんからもらったレンタカー屋のパンフレットを見ていたらSKYレンタカーが一番安かったので電話をしてみた。私の予想では車種はデミオかスイフトを借りて2日で一万五千円くらいかかるかと思っていた。
電話をしてホテルでもらったパンフレットを見たといったら、一日4000円強くらいにしてくれた。保険代も含めると9000円ちょっととのことだったが、5万円免責がない保険にしても千円アップという事で、二日で1万円で貸してもらえることになった。さらに、チャイルドシートとジュニアシートを貸してくれるように言ったところ、それでしたら特別に同じ値段でインサイトに致します。と言ってくれた。超ラッキーである。ハイブリッド車を運転するのは初めてであった。

電話を切ったら10分ほどで迎えの人がやってきた。早い!
レンタカー屋さんの車でレンタカー屋さんに運んでもらった。そこで書類を記入していざ出発である。
出発前にこの近所でお勧めの食べ物屋があるか聞いたところ、ちょっと行ったところに「ラッキーピエロ」というハンバーガ屋さんがあると言われた。「らっきーぴえろ??」なんかよくわからんけど帰りにでも行ってみるかという気になった。

今日は残念ながら雨の函館である。
土砂降りの雨の中を恵山の方へ向かった。
雨が降っていたが、配偶者の見立てではあと一時間ほどであがって、そのあとは曇りになるとのことだった。
1時間ほど海沿いの道をナビの通りに走って行ったら行き止まりになってしまった。
どうやら、「恵山」でナビを登録したのだが、我々が行きたかったのは登山口なので、間違えていたようである。
少し道を戻って、恵山の登山口の方へ向かった。
雨は上がったが相変わらずの曇りである。
坂道の途中鹿に会った。
そして、もう少し行くと見晴らし台があった。曇っていて全く景色なしであった。
そこから少し行くと道が開けて恵山の登山口になっていた。

雨はすっかり上がっていたが、晴れてはいなく明るい曇りになっていた。
スニーカーだったが、私と配偶者、子供二人の計四人で恵山に登ることにした。
私はリュックサックを背負い、カメラを首ぶら下げて、配偶者は8か月の子供を背負って、1年生の子供は自力で歩く登山である。
恵山は、函館から最も近いトレッキングコースで渡島半島の南東端に位置し、活火山の噴火口がみられるお気軽登山コースである。標高は618mで六甲山程度の標高だが、緯度が高い位置にあるため、標高が低くても高山植物がみられるのである。
歩き始めて5分も経たないうちに、マムシがとぐろを巻いているのと遭遇してしまった。嫌な感じである。子供にはこれがマムシだから気を付けるように教えた。
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少し歩くと景色が開け、若干曇ってはいたが3000m級のアルプスに近いきれいな景色が見られた。函館からの観光地としては、大沼公園が有名かもしれないが、恵山のトレッキングコースも我々にとってはかなりポイントが高く感じた。正直言って、あまり知られていないのは函館観光局の不作為ではないかと思ってしまうくらいだった。
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そして、子供と4人でゆっくり歩いて約2時間かけて恵山の頂上に到着した。
頂上は曇っていて景色はほとんどなかった。晴れていたら青森がみられるのかもしれなかったが今日はあいにくの天気であった。
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頂上で休んでいると、近くの岩に蝉がとまった。エゾゼミ?
蝉がけたたましく山の頂上でなくのはここならではかもしれない。高山植物も生えている山だが、標高が低いので飛んでこられるのであろう。
元来た道を戻って車に乗って、今度は水無海浜温泉に向かった。

水無海浜温泉は恵山の山裾にある海辺にある温泉である。
潮が満ちると水没し、潮が引くと温泉が現れる天然の露天風呂である。
温泉好きの嬢ちゃんのために行ったような感じである。
お昼をとうに過ぎていたが、13時過ぎに海浜温泉に到着した。
嬢ちゃん以外は温泉に足だけつけて、嬢ちゃんだけ水着に着替えて入っていた。
海の中の温泉である。
結構いい湯加減だった。
我々が到着した時には誰も入っていなかったが、後から来たおっさんは我々が帰った後に入っていた。
嬢ちゃんを海浜温泉で30分ほど遊ばせてあとはのんびりとドライブをしながら函館に戻ることにした。

時間は14時を過ぎており、おなかがすいていたのでどこかで何か食べようと話をしながら走っていたら北海道おなじみのコンビニ「セイコーマート」が出てきた。懐かしい。役15年ぶりである。
15年前に北海道に旅行に来たときは、セイコーマートでカルビ丼かお好み焼きを食べながらメッツガラナを飲むのが定番になっていた。
腹をすかせながら、家族でセイコーマートに直行。
軽く何か食べて、どこかのお店で食べなおすつもりが、みんなガッツリ食べてしまった。
ちなみに、カルビ丼がなかったので豚生姜焼きと牛焼き肉のどんぶりをセイコーマートコーラと共に食べた。おなかがすいていたのでなかなかおいしかった。

3人ともコンビニ弁当で満たされて函館に戻りつつ、途中でトラピスチヌ教会に寄った。
ここは、西洋版尼寺である。
なかなか綺麗で、木戸銭もいらず見られるのだが、建物を外から見られるだけで中には入れない状態になっていた。
函館は、教会の多い街できれいな建物が多いのである。
そして、驚いたのはとにかく中国人観光客が多いのである。トラピスチヌ教会でも、日本語よりも中国語の方が多く聞こえたような感じである。
私個人としては、中国に旅行に行ったこともあるし、中国人の友人もいるので中国人に対して悪いイメージはない(政府や外交に対しては別)のだが、とにかく観光地にいる中国人はマナーが悪いのである。きっと、マナーが悪いのは一部だけだと思うのだが、一部のマナーの悪さで全体に悪く感じてしまうのである。
ちなみに、トラピスチヌ教会では、「静粛に」と書いてあるところを、大声で話しながらビーチサンダルを履いた中国人を見かけてしまった。そんな格好で来てしまったことは仕方がないにせよ、漢字の国の人なのだから「静粛に」の「に」以外は読めるだろうに。と思ってしまった。
トラピスチヌ教会の感想は、「まあ、きれいだったね。」という感じだった。
30分もせずにトラピスチヌ教会を後にし、ホテルに向かっていたら途中に朝言われた「ラッキーピエロ」が出てきた。
さっき昼食を食べたばかりだったが、とりあえず行ってみようという事で寄ってみた。
ラッキーピエロは函館のB級グルメのハンバーガ屋さんである。
とにかくデカイイメージのハンバーガーという感じである。味はマクドナルドなどと比べるといい意味で「下品」な味である。それがいいのである。
我々はお持ち帰りで、人気ナンバー1と書かれた「チャイニーズチキンバーガー(から揚げバーガー)セット」と人気ナンバー3と書かれた「トンツバーガー」を買った。
ラッキーピエロは作り置きをしないので10分ほど待たされて、お持ち帰りの物が出てきた。中身はハンバーガー2つとポテトである。渡されて第一印象が「重っ!」であった。マクドナルドの倍近い重さがあるように感じた。
ハンバーガーを持って車に乗ってホテルに帰ることにした。
途中ファッションセンターしまむらが出てきたので寄った。
私のパンツを買った。今回の旅行ではあらかじめパンツの数が足りなかったので、途中で買い足す予定にしていたからだ。
パンツを買ってホテルに戻った。
配偶者とお子ちゃまは先に部屋に戻り、私一人で車を止めに行き、車を止めて部屋に戻ろうとしていたら電話が鳴った。
昨日会った高田次期支部長であった。
高田次期支部長は、わざわざ函館のお土産を持ってきてくれたのである。
すいません。しょーもないくいだおれクッキーごときのお返しをいただいてという感じである。
高田支部長は、ラッキーピエロの袋を持った私に会うなり「おっ、ラッキーピエロいったの?」と聞いてきた。「はい!」といいながら、ラッキーピエロは函館ではメジャーなんだ。と思った。
今日は恵山に行って明日は大沼に行こうと思います。なんて話を軽くして、高田先輩は、トラピスト(トラピスチヌの尼寺ではない方)クッキーと山親爺せんべいをお土産にくれた。(家に帰ってから食べましたが、両方とも美味でした。函館は食文化先進国だと思いました。トラピストクッキーも山親爺せんべいも9か月のお子ちゃまがむしゃむしゃ食べておりかなりポイントが高いお菓子でした。山親爺せんべいは卵ボーロの味がしておいしかった。)
高田先輩と少して部屋に戻ってラッキーピエロを開けてみた。
第一印象「デカッ!」だった。
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僕はトンカツバーガーを食べたのだが、とんかつがデカいのである。大手のハンバーガー屋が販売するカツバーガーは、上と下ではさんでいるパンに合うサイズのカツが挟まっているのだが、ラッキーピエロのトンカツバーガーは、普通にとんかつ屋で出てくるとんかつを真っ二つにして、「えいっ!」とパンにはさんだ感じである。
味に関して言えば、上記したように下品でうまいのである。
http://www.luckypierrot.jp/
大手のハンバーガ屋のように、サイズの合ったカツにマニュアル通りのソースが塗られている感じ(当然ラッキーピエロもマニュアルはあるかと思うが)とは違い、ガッツリデカイカツをのっけて、ソースたっぷりボリュームたっぷり「どうじゃ!なんか文句あるか?」という存在感と味が最高なのである。(あー、ラッキーピエロ食べたくなってきた。)
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そして、サイドメニューのラキポテがまたうまいのである。ラキポテはドリンクLサイズのカップに太めのポテトが入っており、そこにデミグラスソースがかけられておりうまいのである。個人的には濃いめのポタージュスープがかかっているように感じたのだが、とにかく初めて食べるソースのついたポテトでこちらもボリューム感で文句を言わさない感じだった。
とにかくラッキーピエロはご当地バーガーNO1になっていることが理解できるおいしいハンバーガー屋さんでした。(北海道の素材を地産地消しているところもうれしい!)
出来ればラッキーピエロが全国区になってくれるとかなりうれしく感じていたりします。きっと僕はマックの隣にラッキーピエロがあったらラッキーピエロに行ってしまうと思います。それくらいポイントが高いハンバーガー屋なのです。とはいっても、素材の地産地消で味をキープしている店なので、北海道から出るのは輸送コストなどの面からしてむりなのかな〜?と思ったりします。

翌日、朝から晴れていた。
相変わらず配偶者と嬢ちゃんは朝風呂に入り、食事の後、大沼公園に向かった。
函館から電車ならば1時間くらいかかる大沼公園も車ならば1時間かからずについてしまった。
ものすごく久しぶりの大沼公園である。
 公園の遊歩道を歩いて回った。約1時間である。
 今日は天気がいいのだが、駒ケ岳の頂上だけが雲に隠れていて見えたり見えなかったりである。湖畔の駒ケ岳がきれいにみられるところで写真を撮ろうと思っていたらやっぱり中国人観光客がいっぱいいた。中国人観光客は自転車で大沼公園を観光しているのである。さすが中国人。だが、昨日同様やっぱりなんかマナーがイマイチなのである。写真を撮りながら岐阜から来た人と話していたが、やっぱり同じ意見だった。
 遊歩道を歩いた後はボートに乗った。手漕ぎのボートである。
 大沼を1時間ボートでぼーっとするのである。
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 嫁子を乗せていざ出発。あーしんど。と思いながらも沼の上から駒ケ岳を鑑賞。いや〜、きれいだね。という感じだった。大沼でボートに乗ると迷ってしまって戻ってこれなくなることが多いみたいだが、1時間きっちりで戻ってこられた。ボート乗り場の人にはちょうど一時間で戻ってこれてすごいね。と言われた。
 ボートの後は、近くの山川牧場に行って牛乳を飲んだ。普通においしかった。
 そのあと国道沿いのセイコーマート湯でとうもろこし(200円)を買って食べた。めちゃ甘。超うまいとうもろこしであった。こんなにおいしいとうもろこしを200円で大阪のコンビニで売られていたら絶対食べるだろうと思ってしまうほどだった。
 とうもろこしを食べつつ市内に戻った。
 とりあえず函館山に行ってみた。
 函館山は大学2年生の時に先輩と二人で来て、夜ロープウエイに乗るときにチケット売り場のお姉さんに「頂上は曇っている(頂上手前までは視界良好だった)ので何も見えませんよ。」と言われ、下界では結構晴れていてそんなに曇っている感じでもなかったし、たとえ頂上付近が曇っていてもぼんやりでも函館の夜景が見られると思い「いいですよ。登ってみます。」といって登ってみたら、頂上手前まで「うわ〜すごいきれい!」とか言っていたのに、頂上で真っ白になった思い出がある。そして、頂上は視界2メートルくらいで全く何にも見えず、誰もいなく寒く、先輩と二人で「こんなんだったらチケット売り場のお姉さんがもっと叱ってほしかったとか、『私が何にも見えへんって言ってんのにそれでも登るんか?お前らアホじゃ!』くらい言ってほしかった。」とか言っていた思い出の地である。
 昼間の函館山だったがかなりきれいだった。恐らく青森と思われる海の向こうまできっちり見えた。
 その後、函館山から降りて、ホテルに戻ってレンタカーを返しに行った。
 夕方、今度は路面電車に乗って、金森倉庫周辺で夜ご飯を食べて夜の函館山に行ってみることにした。
 また同じように、路面電車の乗り放題券を買って函館駅前まで行った。
 路面電車を降りて金森倉庫の方までぶらぶらと歩いた。函館は街並みがきれいだがどことなく活気がない少しさびしい街な気がする感じだった。
 ぶらぶら歩いて函館ベイエリアに行った。いろいろな食べ物屋があった。配偶者は「きくよ食堂」の巴丼が食べたいと言っていたので行ってみた。
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 きくよ食堂は海鮮が中心だが肉物もあって、配偶者は巴丼、僕はステーキ、嬢ちゃんはから揚げ、僕ちゃんはとりわけ食を食べた。
 配偶者はうにのうまさにのけぞりそうになっていた。ちなみに僕のステーキもかなりおいしかった。嬢ちゃんもから揚げに満足していた。
 配偶者曰く「人生で一番うまいうにだった。」とのことである。
 食べたら歩いて函館山の方へ向かった。
 函館山ロープウエイはめっちゃ混みだった。
 15年前に先輩と来たときは2人で貸切だったのに、ギューギュー詰めだった。
 函館山に登った。
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 昼間と違いとてもとてもきれいな夜景だった。というよりも、あまりの人の多さに圧倒された。すごい人。しかも、半分以上が中国韓国の人のような気がする。いったいここはどこの国なんだろう?
 ゆっくり夜景を堪能しのんびりしたかったのだが、あまりの人の多さに辟易した感もあり、30分ほどで函館山から降りてしまった。(当然ですが函館山の夜景はきれいでした。)
 そして、また30分かけて路面電車に揺られてホテルに帰ってお風呂に入って寝た。

 翌日、早いもので函館旅行も最終日である。
 今日はゆっくりとホテルを出て、ぶらぶらと函館山周辺の教会や街並みを観光して夕方の飛行機で大阪に帰るのである。
 10時前にチェックアウトを済ませ、荷物は空港受け取りの手配をして、手ぶらで観光に出かけた。
 函館山周辺の観光地は主に教会である。
ハリスト教会や旧函館区公会堂などに行った。函館区公会堂では嬢ちゃんがドレスを貸してもらって写真を撮ったりした。
函館はのんびりしていて坂が多いきれいな街である。
たまに来て観光をして帰るのならば最高な街な気がした。ただ、高田先輩も話していたように函館は観光以外の産業がない街だということがなんとなくわかる気がして、観光地を一歩離れると活気がないさびしい街のような気がした。
どことなく寂しく、どことなくきれいで、どことなくノスタルジックな街が函館だった。
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観光をしながらお約束のソフトクリームを食べたりし、金森倉庫をぶらぶら見てスタバの北海道タンブラーを買ってかなり時間があったが函館空港へ向かい、飛行機に乗って関西空港に向かい15年ぶりの北海道旅行が終わった。
函館はすごくおいしい食文化の街でした。
高田先輩、小笠原先輩ありがとうございました。
posted by 猿渡 at 19:29| 大阪 ☀| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月03日

剣立山登山と越中ふんどしが似合う男

7月の終わりに函館支部の高田さんに会いに行ったのにそれもアップできておらず、夏休みの宿題がたまりつつあると思う今日この頃である。

8月26日日曜日、嫁子は千葉の実家にジェットスターで帰って行った。久々の里帰りである。
昨年は、配偶者が懐妊中であり、実家の千葉我孫子ではセシウム君がウロウロしているらしいという事で里帰りを見送っていた。
そして、お子ちゃまが生まれて9か月もたったので久々に里帰りをしようという事で去って行った。
残されて暇を言い渡された僕は、「え、じゃー実家帰っている間は自由にしていいんですか?」「好きにしたら。」「じゃー、山なんか行っちゃってもいいんですか?」「別に好きにすれば。」ということで、お手軽に行けて行き残していた剣立山に一人で行ってきました。

そもそも、剣立山には7年前に登る予定をしていた。7年前の夏に登ろうと思い配偶者と計画をしていたのだが、夏前に長女懐妊が判明し、それ以来行かずじまいになっていたのである。

8/26日配偶者を関西空港に見送り、家に帰ってからお山登りの準備をした。
テントに泊まるなんて思い出せないくらい久しぶりである。
あれやこれや用意して、夜ご飯を食べて大阪駅から夜行バスで富山に向かった。
今の僕は、時間があってもお金がない状態なので低料金の夜行バスは大好物なのである。
朝7時前に富山駅に着いた。
7時20分頃の地鉄で立山駅へ、そこからケーブルカーで美女平へ、そしてバスを乗り継いで室堂まで向かった。 室堂に着いたのは10時前だった。
途中ケーブルカーに乗る際に、舶来の人と思われる美女が男と一緒にいた。かなりの美女で、出るべきところが出ていて凹むべきところは凹んでいて、顔は小さく典型的な舶来物の美女だった。「ええなーこの男は。らやましいなー。」と思いながら美女の方ばかり嘗め回すように見ている変態のおっさんになっていた。
室堂に近づくと景色が「アルプス!」という感じでテンションが上がった。
さすがにきれいな景色である。そして、久々の日本アルプスの風景である。

室堂に着いた。
とりあえずターミナルでそばを食べて腹ごしらえをして出発した。
今日は、剣沢キャンプ場までの4時間弱の行程である。
室堂は、手軽に来られるアルプスなので超観光地である。ヒールを履いたお姉さんから冥土の土産の爺婆まで多様な年齢層と人種がいるのである。その中で僕はデカイザック(今回は20s位の量でした)を背負って、今からそこのギザギザしている山を登ってきます。というスタイルで出発した。
雷鳥沢キャンプ場で一服をして足にテーピングを巻いて、そこから本格的な登りを登りきって剣御前小屋まで行った。久々に登りごたえのある登りだった。剣御前小屋で剣岳を眺めつつリッツをバリボリ食べて剣沢キャンプ場まで下って行った。着いたのは14時前だったので結構早くついた感じだった。
早くついてもやることがないので、テントを張ってボケーっとしていた。
このなにもやることのないボケーっといた時間は、山に来た時にしか味わえない時間なのである。普段だと本を読んだり、パソコンをしたりと空いている時間をどんどん埋めていくのだが、山では本も持っていないしパソコンもないし一人だから話す相手もいないし、ただただ風景を見ながらボケーっとするか、昼寝でもするかしかやることがいのである。
15時半くらいになり、さすがに暇なので早めの夕食にすることにした。
普通は16時から気象通報を聞いて天気図を描いて、それから夕食というのが山でのセオリーなのだが、どうせ明日も晴れるとわかっているし、天気図描くのが面倒だしと思い、15時半からメシを炊いて牛丼と共にさっさと胃に流し込んでしまった。
飯を食ってもまだ16時半である。
もういい加減剣岳を眺めるのも見飽きた。
やることもないし、夕方になってきたのでテントの中でシュラフに入ってボケーっとしていた。ボケーっとしていたら夜になって、気が付いたら満天の星空に月が昇って明るい夜になっていた。
そして、あまり熟睡できないまま眠った。
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あまり熟睡できず何度か起きたが、3時半くらいに何時に起きようかと思いつつ、シュラフから出るのが寒くて嫌だなーと思いつつ、4時になったら起きることにした。
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4時になりシュラフから出て寒くて暗い中米を炊いた。
昨日といい今日といい久々の米炊きにもかかわらず、なかなかの炊き映えだった。とはいえ朝はあまり強くないので、味噌汁と茶漬けでごはんを胃に流し込んだ。
5時過ぎに剣岳(2999m)に向けて出発した。
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今日の行程は6時間弱のコースタイムである。
登りの途中、岩場で手を掛けたら岩に小指が当たって小指が切れて壊れて血が出た。「あー、ちー出てしもた。」と思い絆創膏を貼ろうと思ってザックの中を探したが絆創膏を持ってくるのを忘れていた。ショック。仕方がないのでティッシュで壊れた場所をくるんでテーピングを巻いた。
その後、カニの縦ばいという鎖場が出ていたりしつつ頂上に着いた。あっさり書いているが3時間以上もだらだらと登っての登頂だった。
頂上には7時55分に着いた。
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剣岳では登りのカニの縦ばい、下りのカニの横ばいが難所として有名なのだが、僕にとっては「ふ〜ん。」程度だった。ちょっとだけスリルがあるかな。という感じである。かといってこれを見て中高年の無知なハイカーは行かない方がいいと思います。
頂上で持ってきた中華三昧を食べた。少しでも軽量化したいので持っているものは何でも食べるのである。頂上からというか、途中から遥か富士山まできれいに見えた。
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一時間弱の頂上滞在で下山した。
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下山コースではしょっぱなのカニの横ばいで爺婆が渋滞を起こしていた。がっかりである。中高年の登山者に言いたい。もっと体と技術を鍛えてから来い!せめて20kg位の荷物が持てて、地図が読めて、天気図が描けて、山での食事のマナー(メシを作った鍋なんかはお茶を入れてスプーンできれーに洗って飲み干して汚れを山に流さないとか)とかが出来るようになってから来い!と言いたい。何にも出来なくてよくわからないのに小屋泊りでやってきて崖から落ちて死んでみたり、ちょっと捻挫してヘリをよんでみたりするからたちが悪いのである。
爺婆は途中でさくっと抜かして、サクサク下って行った。といっても実は登りよりも下りの方が苦手なのである。下りはどうもつま先が痛くなるのと、以前膝を壊しているので爆弾を抱えているような気になるのである。ということで、サクサクゆっくり下って行った。
下りながら今後の日程を考えた。今日早めに降りてそのまま立山縦走して大阪に帰ることができるか?雷鳥沢ヒュッテに行って明日は立山アタックにするか。など悩みつつ歩いていた。
下山途中(10時ちょうど)一服剣の上で地図とコースタイムを見ながら今後の予定を考えた。どう頑張っても剣沢に着くのにあと1時間。そこから荷物をまとめて出発して、コースタイム6時間強の翌日の日程を疲れた体で午後四時までにこなすのは無理。ということで、一服剣の上で30分休んで超ゆっくりとテントのある剣沢キャンプ場に戻ることにした。ゆっくりと写真を撮りながら下山したにもかかわらず剣沢のキャンプ場には11時40分についてしまった。
やることがないのでとりあえず怪我をした小指を洗って、小屋にいた富山県警の人に絆創膏をめぐんでもらって、小指に貼ってお菓子を食べたりして昨日以上にだらだらと過ごした。もう、剣岳の景色は見飽きましたよ、、。
15時半くらいになり、やっぱりやることがないので飯炊きをして、16時からラジオで気象通報を聞きながら夕食のレトルトカレーを食べた。明日の天気も概ね晴れですね若干ガスが出るかもという見立てだった。朝鮮半島へ台風が移動しているので進路の右側に位置するため雲が引っ張られてガスが出るかもと予想しました。
夕飯を食べて相変わらずやることがないので昨日と同じ様な感じで寝てしまった。今夜も寒くて熟睡できない感じだった。

翌日8月29日
朝4時前に目が覚めた。というか、何度も目が覚めては時計を見つつ起きる時間をどうするかを気にしていた。外では3時過ぎくらいから出発の準備をする人のヘッドライトの明かりが光っていて、僕は何時に起きようか迷っていた。
4時に起きようかと思ったが、寒いのでとりあえず4時半くらいに起きようという事にした。だらだらとシュラフにくるまりながら4時半近くになってきたので起きた。
起きたら昨日と同じように、まずお湯を沸かしてお茶を飲みつつコメを炊いた。
あったかいカモミールティーが胃に染みる。
今日も昨日同様お茶漬けと味噌汁でご飯を胃に流し込んだ。
飯が終わってテントを撤収して6時に出発した。
今日はまず剣沢のキャンプ場(2500m付近)から別山(2874m)まで上がり、そこから尾根伝いに立山雄山(3003m)に向かいそこから室堂平(約2500m)まで下山するコースである。
荷物を詰め込んだ20s弱はあると思われるザックを背負って別山の上りを登って行ったがことのほかサクサクと進んだ。当初は1回くらい休憩を入れようと思っていたが、1時間弱で別山まで登れてしまった。
別山頂上は風が吹いていて、3000m付近に雲がかかっていたため剣岳の頂上は隠れており、周りの山も微妙に見えたり隠れたりするような景色だった。
別山から真砂岳を経由して2時間ほどで大汝山に着いた。
大汝山と雄山で立山のメインという感じである。
大汝山の頂上から遥か眼下に、黒部湖が見えた。
丁度一緒になった武庫川女子大学の引率の先生と生徒の人に写真を撮ってもらったり撮ってあげたりした。
大汝山の頂上からの景色は黒部湖が見られてきれいだった。人もそんなにたくさんいなくいい感じの山だった。ただ、相変わらず3000m付近には雲がかかっており、黒部湖の逆側の室堂が見えないくらいになってしまっていた。
大汝山から雄山までは15分ほどだった。
雄山に着いたら急激に観光地だった。
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富士山、白山、立山は日本3大霊峰なのだが、雄山も他と同じように超観光地だった。ちなみにこの3山は超有名どころだが、猿渡的山の評価としてはかなり低い部類である。
雄山の神社で頂上バンダナと、今日会う森川さん向けに頂上手拭いを買った。神社なのでお守りも売っていたの だが、資格試験も終わったのでいまさら学業成就もいかがなものかと思い、かといって交通安全や家内安全もいかがかと思うし、雄山が商売繁盛な感じもしないのでその他の物は何も買わなかった。そして、みんなと並んで500円を払ってお祓いをしてもらうのもなんとなくありがたみを感じなかったので、雄山の頂上では昨日に引き続き中華三昧を食べてだらだらしてから下山することにした。
中華三昧を食べ終わる頃に武庫川女子のご一行がやってきた。
先生と話をした。折角なので名刺を渡して「メールください。さっき大汝で撮った写真をおくりますから。」という話をしたら、先生も名刺をくれた。生徒の方々は名刺を持っていないのでとりあえず全員に僕の名刺を渡した。
表に行政書士、裏に東洋大学校友会支部長の名刺である。
この名刺も今週でデザイン変更なのである。表が行政書士と社会保険労務士の肩書になり、裏は主要取扱業務を書くことになるのである。東洋大学支部長の肩書の名刺は当分出すところがなくなる予定なので、いったん作る予定はないのである。
そんなことを思いつつ名刺を渡したら生徒の人たちは「ぎょうせいしょし、、、すごい人だー。」とか言っていた。全くすごくないんですけどその資格、、、。と思いつつ、先生とは「いやー、独立開業したてでどうせ仕事がないんで毎日休みなんですよー。いいねー、大学生は夏休みがあってー、というか、僕なんか毎日休みの状態なんでそろそろ仕事がしたいですよー。」なーんて話をした。先生からは「いつから仕事をされるんですか?」と聞かれたので、「仕事が来た時からです。(キッパリ)」と答えた。結構深刻な問題です。
生徒からは、「結構若いですよね。」と言われたりしたのだが、「残念ながら僕、今大学に2回いける年齢(36歳)になっちゃいました。」なーんて話をした。僕から見た女子大生は、恋愛対象にならないようなかわいらしい感じに見えてしまった。どちらかというと引率の先生の方が僕と年齢は近いのではないかと思ってしまったくらいだった。かといってこちらも恋愛対象にはならないのだが、、、。ああ、俺っておっさん化しているのよね。やっぱりこの旅一番はケーブルカーで見かけた舶来の美女だったのでしょう。
とはいえ、女子大生と会話ができただけでも若干の幸せを感じました。
そんなこんなのやり取りをしつつ、超観光地で人がたくさんいる雄山に1時間弱いて、相変わらず雲がかかっていて景色も見えないので下山することにした。
武庫川女子の生徒たちご一行は一の越山荘までおりて、そのまま室堂に向かったみたいだったが、僕は時間があったので浄土山経由でいったん130mほど登りなおして下山することとした。
やっぱり相変わらずガスっていて景色はなかった。ハッキリ言って浄土山には来ても来なくてもいいコース選択をしてしまった感じだった。これで途中に雷鳥にでも出会えれば来たかいがあったのだが、そんなこともなくただただしんどいコース選択をしただけだった。
室堂に戻ってきて、室堂ホテルの売店のお姉さんに「この辺でお風呂に入れるところないですか。」と尋ねたら、「みくりが池温泉」と言われたので、「やっぱり」と思いつつ、片道10分かけていくのが面倒だったが、この3日間風呂に入っていず、かなり身体じゅうから汁がしみだしていて、服はいい出汁がたっぷりしみこんでいてすっかい身体になってしまっていると思うので、とりあえず風呂に入らなければこの後、夜飯の時に森川先輩から鼻つまみ者扱いをされるかもしれないと思い風呂に行くことにした。
みくりが池温泉に行く途中はすっかりガスの中になっていた。
みくりが池温泉に到着して600円を払って風呂に入った。
あまり広い温泉ではなく結構混んでいたが、かなり気持ちのいい温泉だった。ハッキリ言って僕が入った経験のある温泉ではかなり上位に位置する温泉だった。とはいえ、混んでいたのでごしごしと体に染みついた出汁を洗い流して30分もかからずに上がった。
着替えて食堂の所で靴下をはいていたらなんとなく何か食べたくなってきてラーメンを頼んでしまった。14時で中途半端な昼食である。しかもさっき中華三昧を食べたというのにまたラーメンである。
山の上にもかかわらず700円のラーメンは良心的な価格で普通の味だった。ただ、僕は厨房のおっさんが冷凍めんを湯がくシーンは見逃さなかったが、、、。
食べ終わって室堂のバスターミナルに戻り、子供向けにTシャツと配偶者向けにバンダナを買って帰ることにした。お土産と言えばお菓子が定番だが、正直言って似たような味のものはどこでも買えてしまう気がして買わなかった。小学生の嬢ちゃん向けに840円のオコジョぬいぐるみを買おうかと思ったが、made in chinaと書かれていたのでやめた。なぜ立山まで来て中国製のぬいぐるみを買って帰る必要があろうかと考えてしまった。そして、尖閣諸島問題のホットな今、少しではあるが中国製品を買い控えてみようかと思ってしまった。ちなみに、個人的には中国人の友人や台湾人の友人がいてみんないい人です。個人的な交流の事は別にして、どうも中国政府や韓国政府の領有権問題などに関しては同調しかねる部分が多く感じてたりします。考え方は人それぞれなのですが、中国人=悪い人、韓国人=悪い民族 みたいな考え方はやめましょう!個々人についはいい人がたくさんいますから。プラスの面を見て、マイナス面はうまく調整をはかり主張すべき点はとことん主張しあうべきだと思っております。
室堂からバスに乗り美女平に行き帰りのロープウエイでは舶来物の美女と会う事もなく、立山に降りて地鉄にのって17時過ぎに富山に戻ってきました。
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地鉄富山駅で大阪梅田行夜行地鉄バスのチケットを買いに行ったら満席だった。が〜ん。しゃーない。と思い、JRバスの切符を買いに行った。チケット売り場があらへんやん。どこやねん?と思い、仕方なくJRのみどりの窓口に行ってみた。みどりの窓口ではハイウエイバスのチケットは買えなかった。その代り富山にはJRバスのチケット売り場はなく、電話で予約をしてチケットを入手できることと予約電話番号を教えてもらう事が出来た。
早速電話をしたら空席は少ししかなかったが、チケットを取ることができた。決済はコンビニでするように言われたので、すぐにコンビニを探して近くのローソンで決済しチケットを入手することができた。やれやれ、これでサンダーバードに乗って帰らずに済み、森川先輩と楽しい夕食を食べられることが決定し安心した。
これで、「すいません。バスの切符が取れなかったので最終のサンダーバードで帰ります。」では、かなり残念な結果だったので、助かった感じだった。
予約を入れて富山駅前でコンビニを探した。ローソン、ファミリーマート、サークルKが決済可能コンビニとのこと。何故セブンイレブンが入ってないのだろうか?という疑問もあるが、とりあえず3つのコンビニを探した。
富山駅前の横断歩道を渡ったところでLECの人がティッシュを配っていたのでコンビニがないか聞いてみた。ローソンがすぐそこにあると教えてくれた。ローソンに行って決済をした。5,200円。やれやれこれで帰りの手段は確保した。あとは森川先輩とメシを食うだけだ。21時40分大阪行きドリーム号。
決済が終わったのは18時前だった。森川先輩から仕事が終わったら電話がかかって来る約束だった。それまで富山駅前で暇をつぶさなければいけないのだ。
ウロウロ散策でもしようかと思ったが、デカイザックを背負って歩きまわるのがつらい。それに昨日までだとすでに寝ている時間に突入しておりかなり眠たくなっていたのである。結局動き回るのはやめて、トイレで昨日以来の歯磨きをしてそのあとボーっとバス停で座って待っていた。
18時30分位に森川先輩がやってきた。
富山の森川さんと言えば、校友会の中ではかなりの有名人である。(猿渡の独断と偏見)富山の吉田支部長を知らない人はいるかもしれないが(吉田支部長申し訳ない!)森川さんを知らない人はいないと思われる存在感たっぷりの人である。今度の大阪府支部の支部総会にも、超大物ゲストとして呼んでいるので皆さんには期待していただきたい。
森川さんを知らない人からは「森川さんって誰?」という素朴な疑問がわくことでしょう。形容が難しいのだが、一言でいうと「勢いのあるおっさん。」そして、独特の富山弁をマシンガンのような勢いでしゃべくる「越中ふんどしが似合いそうな男」なのである。(猿渡の独断)(ま、致し方ない。富山と言えば越中富山の薬売りと越中ふんどしくらいしか思い浮かばないので、薬屋さんぽくなければ自然とふんどしという選択肢を選んでしまうのだ。なお、富山で他に思いつくものは、ますの寿司、立山、蜃気楼、米といったところがメジャーどころではないかと思います。)
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なお、写真の左から2番目で猿渡君の肩を抱いているおっさんが森川さんである。
とにかく面白いおっさんなのである。
と、勝手にふんどしの似合うしゃべくりなおっさんという先入観を持ってもらっても困る(すでに十二分に先入観を植え付けているかも)ので森川さんの人となりを紹介しよう!
森川さんは昭和63年法学部法学科卒業で、学生時代は混声合唱団に所属していたそうだ。
森川さんに、「森川さんは何学部だったんですか?」と聞いてみてください。「混声部!」と必ず応えてくれます。そして、現在はガスの販売会社で次長職をされているそうです。
ここまでをまとめると、法学部出身で合唱部の越中ふんどしが似合うガス屋のしゃべくりなおっさん。という事になる。
話がそれすぎた。
森川さんがやってきて、東洋大のOBがやっている居酒屋へ連れて行ってもらった。
居酒屋はさっき行ったローソンのすぐ近くだった。森川さんは僕のためにわざわざ予約を入れておいてくれたのだ。ありがたやありがたや!というか、週に一度はここに来ているとのことだった。
居酒屋に入ると一番奥のカウンターが2席空いていた。(これが予約)カウンターの前には柏原竜二のサインと写真。壁には東洋大学の駅伝の写真やら芸能人のサインやらでぎっちりだった。そして、たまたまだったが僕の隣には富山支部の写真家青山氏という方が飲んでいたのだ。恐るべき東洋大OBの巣窟である。東洋大好きには耐えられない空間なのである。
で、森川さんとバスの時間までたんまりと話をした。先週の嶋田先輩とは打って変ってリラックス感満載である。場所も場所だし、アウェーだけどホーム感たっぷりである。
今まで知らなかったのだが、森川さんは学生時代混声合唱団に入っていて、学生時代のほとんどが混声合唱に費やしたそうだ。
申し訳ないが、僕には混声合唱団のイメージと森川さんのイメージがどうしても合致しないのだ。
僕が大学に入って早々、同じ学部で知り合ったとってもかわいい安藤未樹子さんという女の子がいた。彼女はとってもかわいく4月で新勧の頃の授業の前に、「私、混声合唱団に入ったの。猿渡君も入らない?」と言われたことがあった。(ま、休み時間の教室で「サークル入った?」なんて会話の流れからなのだが、、、)
冷静に「いやー、僕はちょっと向かないと思うから〜。」なーんてやんわりとお断りをした過去があった気がする。(当時僕はかなりうぶだった。)
安藤さんは確かに可愛かった。でも、僕はとてつもなく音痴なんです。カラオケに行ってマイクロフォンを通してスピーカーから流れ出る自分の声を聴いたら死にたくなるんです。きっとそこが高層ビルの屋上で誰かが後押ししてくれたら空を飛べそうな気になるくらいです。けれど歌うのは好きです。よく一人で車を運転しながらエコーズやら中島みゆきやらを一人ジュークボックス化してステレオに合わせて歌っていたりするんです。だからといって公衆の面前で醜態をさらすのは耐えられないと思ってしまったのです。ましてや可愛い女の子たちを前にしては、、、。(過去と現在がごっちゃになった文章だ。)それに、今は3枚目のお笑いキャラが定着してしまっているのだが、当時はなるべくは2枚目から2.5枚目程度のキャラを目指していた多感な時期であったのだ。ジャイアン並みの音痴を披露し笑いを取ったら「よし!ウケた。おいしいぞオレ!」という感じになることでしょう。(ま、本当のところ、客観的に考えて混声合唱団は自分には向いていないと思ったし、みんなで合唱したいと思わなかったし、既にその後2年間所属し、配偶者と知り合った登山サークルに足を突っ込みかけていたので、どっちかというと山に這い登っているイメージの方が自分自身としては想像しやすかったのだ。)
ちなみに山に行ったときにジャイアン並みに歌ったりしていた。山で同じ釜の飯を食ったおっさんらに対しての恥はかき捨てどころかオイシイくらいに思っていたのである。そんなおっさんの一人が今の配偶者なのだが、配偶者に僕が歌っていた中島みゆきの曲を聞かせたら「へ〜、本当はこんな曲だったんだ。全然違う。」と言われた苦い過去もあったりする。(僕は忠実に再現して歌っている気がするのだが、ピカソなみのデフォルメがされているようである。)
話は長くなったがつまるところ、
可愛い安藤さん=越中ふんどしが似合う男森川さんの方程式がどうしても成り立たないのである。想像ができない。こんなことを書きつつ安藤さんはどうしたかな〜なんて思ったりした。可愛かったな〜。そういえば同じ学部の清水さんも可愛かったな〜。西尾さんもかわいかったな〜。南さんは憎たらしかったな〜。なーんて思ったりした。
ああ、逢ってみたいな〜。どうしたことやろかいな〜?とも思うが、既にかなりの時間が経っており、向こうは既に35歳を超えているのだ。もうりっぱなおばはんかもしれない。それにこちらも曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処にも求めようもない。のだから、、。(一部中島敦「山月記」よりパクリ)と考えつつ、僕は小学校6年生のころ同じクラスに藤本さんという可愛い子がいたことを思いだした。当時僕はクラスでも前から数えて3番以内のチビだった。今でこそ身長は170cmまで伸びたが当時はクラスでもチビで頭の悪い人間だった。それに比べて藤本さんは僕よりもだいぶ背が高くかわいらしく勉強も出来る女の子だった。そんな彼女とは小学校を卒業し別々の中学校に進むことになった。僕が住んでいた蛍池東町と彼女が住んでいた刀根山とでは別々の中学の校区になってしまったのである。そして、別々の中学に進み僕は持ち前の大バカをいかんなく発揮し、大バカにふさわしい高校の入学試験を受けた。試験が終わってから高校の階段を降りていると小学校時代の男友達に会った。その彼が、「覚えてる?」と言って指差した先に女の子。「覚えてない。」「同じクラスだった藤本やん!」(「、、、、、、思い出せない。」)
またまた話が大きくそれたが、森川さんとはかなりたくさん話をした。なんといっても19時前から21時半前までの2時間半もの時間があったのだから。
森川さんは勢いがって面白いのです。ただ、富山弁がきつくて3分の1くらいリスニングが出来ず、ところどころ聞き取りと理解ができないところがあったのだが、あの独特な雰囲気は最高である。その勢いを例えると泉谷しげるである。泉谷と同じく森川さんも勢いがあって、「まー、飲めや!」とか言って酒を進めてくるのだが、「いや、僕あんまり飲めないので。」とお断りすると、「なんだ、お前飲めないのか!」(語尾に「だらしねーな」とつけるような勢いで)といい、「そっか、じゃー、じゃんじゃん食え!」というのだが、「森川さんこそ飲んでないじゃないですか!もっと飲みましょうよ。」というと、「いいんだよ。金持ちは酒のめねーんだよ。」と泉谷なみの弱腰で返すのである。
 金持ち=酒飲めない
の方程式も意味不明なのであるが、、、。
そんなこんなで僕は、結局、オレンジジュール2杯、コーラ一杯、日本酒お銚子一本を飲みつつ、刺身や空揚げ焼きそばなんかをがつがつ食べた。三日間山に籠って身体を動かしまくっていたので食欲の塊と化していたのである。
一方で酒を進める森川さんは二時間半をかけてビールジョッキ一杯と青りんごサワージョッキ1/5ほどを舐めていた。森川さんはある意味下戸である。青りんごサワーに至っては、ほぼジョッキを握っているだけという感じだった。
越中ふんどし、酒と女とタバコとギャンブル→森川さん
だと、しっくりくるのだが、
混声合唱団、下戸、二十歳の娘のパパ=森川さん
というしっくりこない現実があった。
森川さんとは二時間半の間に校友会の話や大学時代の話、こうやって知り合いになれるのが校友会のいいところだよね。な〜んて言う話などをたっぷりした。と思う。1/3くらいの聞き取れない部分が違う内容だったのかもしれないが。
僕の隣の青山さんとも少し話をした。
彼は写真家でスタジオを経営していて、その関係で税理士の人と一緒に飲みに来ていた。
僕は青山さんにどうやったらうまい写真が撮れるんですかね〜?とありていな質問をして見た。青山さん曰く、「いいカメラ!いいカメラだと誰でも取れるから!D800(ニコンの最新の超高級カメラ)。」と言っていた。「え、D800買ったんですか?いいな〜。」「うん、誰でも撮れるから。」と言いつつ、ちょっとだけ「何を撮りたいかのコンセプトがないとだめだね。」というようなことも言っていたような気がする。(青山さんも酔っていたような感じだが、、。)
ま、ごもっともな意見である。いい写真と思った写真があったら、その写真の場所へ行ってその写真を撮ったカメラとレンズを用意して全く同じ設定で写真を撮れば似た写真が撮れるのだ。それが写真を上達する鉄則なのだ。
僕のダイビングのイントラが昔大阪芸大で写真家の講師をしていた経歴があるので、彼にも同じ質問を投げかけてみたら、「説明書読んでください。説明書通りにカメラのポテンシャルをすべて引き出せれば安物のカメラでもかなりいい写真撮れますから。」と言われた過去がある。
ま、つまるところは、いいカメラを使いこなせれば誰でもある程度うまい写真を撮れるという事である。というか、現在このブログで使っているニコンD5100を使いながら、「上位機種のカメラとレンズを使って撮った写真てやっぱ綺麗だよね。」などと配偶者と話していたりもする。そして、逆に「コンデジで撮った写真はやっぱ一眼にかなわないよね。」なーんて話していたりもする。カメラに懲り始めると、一眼レフの美しさに慣れて、コンデジが使えなくなってしまうのである。
青山さんの写真が載っている「写真ライフ2012年夏号」を店の大将が出してきてくれて、一部僕にプレゼントしてくれた。
36ページから39ページまで青山さんの写真と記事が載っています。
青山さんは自分の写真を開きつつ、「この写真どう?」(P36の写真)と聞いてきたので、思わず本音で、「どこにピントが合っているのかわからない。」と答えてしまった。あと、他の写真で、「これは普通に撮れそうだ。」とか言ってしまった気もする。かなり失礼な奴である。でも、P38の写真はうまいような気がした。というか、全体にうまいのかどうかよくわからなかった。
個人的にP36の写真は何故ISO1600まで上げてストロボを炊いて、1/20秒のスローシャッターにしたのか? (ストラボを炊くならISOをそんなにあげなくていいんじゃないの?とか、動いているところをボケさせるためにスローシャッターにしたのかもしれないが、そうすると全体的に動いた感じでピンボケっぽくなるのではないか?そういった感を出したければ、いっそのことP38のような感じの写真にした方がいいのではないか?とか、AF18-200のレンズ好きなんですか?どうなんですか、このレンズ。10倍ズームだと便利かもしれないけど、倍率が上がると暗くなるからもっと低倍率の明るいレンズを使わないんですか?などと、質問をバンバン浴びせたくなってしまった。)
面倒臭い質問をしたがる輩である。
そんな質問をしたかったのだが、青山さんは楽しく税理士の人と飲んでおり、僕は僕で森川さんと話をしつつだったので、あまり青山さんとは話が出来なかった。(まあ、青山さんは結構酔っていたような気もするし。)
ちなみにいただいた写真ライフは結構面白いです。きれいな写真がたくさん載っています。一眼レフのお手入れの仕方も載っています。

アオヤマスタジオ
http://www.toyama-smenet.or.jp/~aoyamast/index2.html
カッコええHPです。

僕にとっては一眼レフのお手入れの仕方でちょっと参考になるところがあったことと、設定が書いてあるきれいな写真は非常に参考になります。たとえば、星をきれいに写したかったら、本に書いてあるように設定をしているのです。AFで撮ろうとしたら暗くてどこにもピントが合ってくれずきれいに撮れないのです。写真の本は設定を勉強する本なのです。
ジュースをたらふく飲んで、酒の肴を食べながら、「金持ち酒飲まない!」と豪語しつつビール一杯とりんごサワーをなめる程度の森川さんとのお話はとっても楽しく続いたのだが、バスの時間が押し迫ってきたのでお開きにすることになった。
(なお、他の話題としては、森川さんは鉄ちゃんで、京阪と西武が大好きとのことでした。理由は富山地鉄に京阪のテレビカーと西武レッドアロー号のお古が走っているから。とのことでした。僕も初日に地鉄に乗りながら「あ、あれテレビカーのお古やんけ!あ、今度は西武のお古もある。」と思ったりしていた。どうせなら今度は小田急ロマンスカーを購入していただきたい気がする。)
最後に森川さん、青山さん、お店の大将と一緒に写真を撮った。
そして、森川さんにはごちそうになりバス停に向かった。
日本酒お銚子一本でなんとなくほろ酔い気分で、駅の自動販売機でいろはす水を買ってバスに乗ろうとバス停で森川さんとバスを待っていた。
すると2日前に美女平で見かけた舶来の美女が彼氏同伴でやってきて、大阪行きの同じバスに乗り込んでいった。「おお!こんなところで再会できるとは!」と思った。まあ、それにしても、美女同伴で貧乏夜行バスかよ!大学生かな?と思ったりもした。ただ、僕自身既に眠くて舶来美女のことなどどうでもいい感じになっていた。
そんなこんなでバスの出発の際森川さんと握手をして別れて大阪へ帰った。
握手をした手は、さっき買ったいろはす水でびしょぬれの手だった。半酔っ払い状態だったがとっても失礼な握手になってしまった気がした。
翌朝大阪駅でまだ薄暗い中、駅の改札方面に向かって歩いていく舶来物の美女の後ろ姿が彼女を見た最後だった。
そんなこんなの剣立山森川さんの夏休み最後の旅でした。
森川さんありがとうございました。9月8日の総会ではお待ちしております。

※1)この文章にはかなりの先入観と空想が含まれております。ご注意ください。(2000年卒猿渡)

※2)文章がつながらないところがあるかもしれません。(1999年卒猿渡)
(この話はフィクションです。というかこのブログをアップしてくれているのは私の配偶者なので検閲が入るかもしれない、、、。憲法21条2項検閲の禁止と憲法19条思想良心の自由を主張したい!)
と、支部長は申しておりますが、いくつかチェックを入れて6行ほど切りました。

花の写真もあります。
北アルプスは高山植物の宝庫です。
8月末でまだこんなにあることが驚きです。
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ハクサンフウロ
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アオノツガザクラ
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タテヤマリンドウ
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チングルマ
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チングルマの綿毛
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ミヤマキンバイ
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ウサギギク
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ハクサントリカブト
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イワツメクサ
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イワカガミ

私、個人的にはアオノツガザクラとハクサンフウロとチングルマが大好きです。




posted by 猿渡 at 07:04| 大阪 ☀| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月24日

クリハラント 嶋田先輩訪問

8月上旬、クリハラント嶋田先輩から携帯に電話がかかってきた。
「今度の総会出るから!」
との旨だった。
今年の支部だよりには全員に名刺を同封した。今まで支部長の連絡先がわかないとか、支部長が誰かもわからないという事があったと思うので、それをなくそうという思惑と、裏(こっちの方が表の顔かもしれないが)に行政書士としての名刺を印刷して宣伝をしようという思惑があった。(9月1日からは社会保険労務士兼業です。よろしくお願いします。)
いずれにせよ恐らくはそれを見て電話をしてきてくださったと思うので、支部だより発送総数1/600の確率の有り難い電話であった。(無駄ではなかった。)

「大阪と東京半々くらいでよく大阪にいるからいつでも会いに来てよ!」という旨を言ってくださったので、「じゃー、行きますわ。」ということで秘書の方経由で後日アポイントを取って本日訪問してきました。
もしかしたら嶋田先輩からしたら『社交辞令』だったかもしれない気もしたが、どちらにせよ社員数700名以上を率いる社長にお目見えできるなんてあまりない機会なので、是非とも会いたいと思い訪問してきました。(自営業をやるにはある程度の厚かましさも重要です。)

株式会社クリハラント
http://www.kurihalant.co.jp/index.html
ホームページをみるとわかるのですが、電力系などのインフラ技術に秀でた会社です。
資本金が5億3百万円なので、私が時給800円で働いた場合、628,750時間働けば達成できます。ちなみに24時間フル稼働で26,198日必要です。約72年かかります。まあ、阪神の城島の1年ちょっとの年俸ですけど。

嶋田先輩の名は幹事会でよく話に出てくるのですが、私の中では「ゴルフのうまい会社の社長」でした。その部類には末吉先輩や、平岡先輩(専務ですが)もいたりします。ただ、折角接点ができたからには会ってみるべき人間だと思い訪問しました。
話は少々飛躍しますが、私はしたたかな人間です。何がしたたかかというと「自分も成功したい」という思惑があるしたたかな人間なのです。
大学を卒業以来、仕事でもプライベートでもいろいろな人に会ってきました。そして、自分自身が成功したいと思っていて、どうすれば成功するのだろう?と思うようになり、成功している人を見て観察するようになりました。これは、別に成功したいと思って意識して始めたわけではなく、うまくいっている人とダメな人の傾向がだんだんと人に会っていてわかってきたのです。(商社で働いていたため、経営者のお客さんとの接点が多く、与信的な目からも傾向がだんだんつかめるようになってきました。)つまり、自分自身もその傾に近づければ成功できる近道ではないかと思ったのです。(というか、成功している人は自然とそうなっているはずです。)
で、持って回った言い方をしたのですが、その成功の秘訣とは、「会って話していて面白い。雰囲気が良い。プラス思考。前向き。みんなに好かれる。」と言ったごくごく当たり前のことがごくごく当たり前に出来る人たちです。(ここ、むっちゃ重要です。試験に出ます。)
このごくごく当たり前のことができる人は実は意外と少ないのです。面白い話をするためには話のネタを仕入れてこなければいけないので膨大な勉強が必要です。家で寝転がってビールでナイター観戦していては無理でしょう。雰囲気が良いことも簡単でいて難しいのです。人間何かがあるとついつい感情が表に出てしまうのです。悪い雰囲気(マイナスオーラ)を出す人の周りでうまく仕事ができるはずがないのです。だから雰囲気はすごく難しく大事なものなのです。プラス思考と前向きも非常に大事です。何かの出来事を否定する方が何かの出来事を自らやるよりも100倍は楽なのです。三振をしたバッターをスタンドからやじることができても、己がホームランを打つことなどできないのです。つまり、欠点を否定するよりもそれを活かして前向きにプラスのエネルギーに変えることが出来れば成功に近づくのです。そして最後にみんなに好かれるという事も大事になってきます。結局、一人でできることには限界があるので誰かに手伝ってもらわなければ一人では何もなし遂げられないのです。社長は会社があって部下がいて社長なのです。部下がいなくなったら一人親方になります。そうなったら猿渡社労士事務所に一人親方の労災加入を申請してもらうしかなくなるのです。
だらだらと書きましたが、「同じ大学の先輩後輩」というだけで会ってもらえるのは、支部長の役得だと思い会いに行きました。

16時の約束でかなり多忙らしいので遅刻は厳禁です。
仲のいいお客さんとだと「16時ぐらいに伺います。」なーんて約束をしたりしますが、今回遅刻は許されません。わざわざ貴重な時間をさいてもらっているのですから。
と思いつつも、来週から山登りに行くためにNIKON D5100カメラの持ち運びケースをヨドバシカメラで物色していたら、15時20分位になってしまったので、「ヤバっ!」と思い急いで西梅田から本町のクリハラント社に向かいました。
焦った割には早くついてしまい、10分ほど暇をつぶしに近くの科学博物館を覗きに行ってしまいました。ずっと気になっていて面白いのかな?今度子供を連れてこようかな?と思い行ってみたのですが、入場料無料で、小学校1年生の我が子にとってはあまり興味がわかない感じかと思いました。かろうじて興味がわくのは3年生以降くらいかな、、、。
そして、15時55分位ににクリハラント社に到着。
嶋田社長からは「秘書」と紹介された方が出てきてくださり挨拶をしました。ちなみに肩書は秘書ではなく「課長」でした。かなり丁重に挨拶をされて応接に通されました。
応接に入った第一印象、「応接デカっ!応接机めっちゃデカ!」という感じでした。これまでいろいろな会社の応接に通されていろいろな人と話したことがるのですが、きっと一番応接机の大きな応接でした。正直、お話しするのに遠いよ〜。と思ったことと、ただでさえアウェー感があるのに、これだと平壌での日本対北朝鮮のアウェー感くらいあるな〜と思ったりしました。

嶋田社長は会議中とのことで、応接で少々待つことになった。といっても10分くらいで来られたので全く待たされた感はなく、忙しいところを遊びに来てしまい申し訳ない感じでいっぱいだった。
ちなみに待っている間にきれいなお姉さんがお茶を持ってきてくれた。(若干セクハラか?)
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間もなくして嶋田社長が来てくださった。
第一印象、「オーラがある。」でした。
アウェー感に押されてしまいます。
ハッキリ言って、東洋大学大阪府支部支部長なんて屁のツッパリにもならない肩書です。だからオーラが出ません。名刺の「行政書士・社会保険労務士」の肩書は、こいつは大バカ者ではないだろうという程度を担保するほどにしかならないのでオーラは出ません。つまり、私にはシスの嶋田先輩から出されるオーラ光線を弾き返すヨーダのフォースは出ないのです。(勝手にシスにして申し訳ありません。)
とはいえ、色々と話をしました。(あまり具体的に詳しく書くと問題もあるかと思うので軽く数点だけ書きます。)

やはり電力関係なので福島の原発事故の件でいろいろと大変だそうです。
地震当日の話なども聞かせてくださいました。社員を預かる身としてはかなり気苦労をされたと思います。700人以上の社員といっても、そこには家族もいるので3,000人以上の生活を預かっている身としては、大変だろうと思いました。
最近では淡路島でソーラー発電施設の事業を進めているとのことを話されていました。淡路島という事で、もともと三洋電気の初代社長井植氏の出身地なので何か電力関係で由縁でもあったのですか?と質問したところ、「よく勉強しているね〜。」と褒めていただきました。「知ってますよ〜!淡路島って、島ごと上沼恵美子の実家で、庭に玉ねぎが植わっていて、そこを三洋電気の元社長が間借りしてたんですよね〜。」と言いたいところだったが、アウェーだったので「ありがとうございます。」と普通に返答するつまらない人化してしまっていました。とはいえ、実は三洋電気初代社長の出身地を知っているだとか、松下電器から分裂してできた会社だとかは一般常識かもしれないのだが、この事は以前このブログの2012年5月10日で校友の岩瀬達哉氏著書書籍紹介「血族の王」で詳細に書かれていたことで知っていただけだったりするのです。その点が線になってつながっただけなのです。(でも、これって非常に大事です。点がない人は絶対に線にならないので打っても響かない人になります。)ま、そんなことはさておき、淡路島はソーラー発電の特区のようなところだそうです。そりゃそうかもしれません。本州とも四国とも離れた若干大きな島なので(といっても自転車で一周しましたが)電力インフラで地産地消できるものがあることは不可欠ではないかと思います。
というような話などをして、最後に社長室で写真を撮らしていただいて帰ってきました。
嶋田社長は多忙なため、あまり長い時間話が出来ず残念でしたが、非常にためになる楽しい時間でした。今度は末吉先輩や平岡先輩たちも一緒に食事をしながらでもお話が出来ればアウェーではない対決ができ、ヨーダのフォースもちょっとは出せるかと思います。

恐らく支部長をやっていて、面倒な事と嫌なことが90%くらいあるのではないか?(もう少し少ないかな?)と思うのですが、支部長をやっての役得はこうして人と会えることかと思います。このブログに登場してくださった先輩方と会ってお話ができることが10%の喜びであり、実はこの10%が90%を勝る気がするのでかろうじてやっていられるのではないかと思っております。
このブログをみられている方も支部総会に出てまずは校友会と接点を持っていただければ、交友関係が広がるかと思います。

本日は嶋田先輩お忙しいところを貴重な時間をありがとうございました。
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2012年08月10日

第一回幹事会

8月9日(木曜日)第一回幹事会
出席者:猿渡、平岡、北川、西中、塩見、山田

6月末か7月に開こうと思っていた幹事会がずるずると伸びて8月9日になってしまった。
 支部だよりの作成の打ち合わせや、発送の作業、そして今回の支部総会の段取りについてというお題があるので、3回の幹事会を本来ならやるべきと思っていたが、ずるずると先延ばしになり前者2項目については支部長の私が独断で荷を背負いこんだ形になって決着していた。
 そして、今回支部総会の段取りについて話し合いをした。
 内容は簡単である。
 昨年の式次第を持ってきて、誰が司会をやってだれがどこで話をするかを決める程度である。
 18時から幹事会をスタートして、実質30分程度で概ね終わった。
 19時前まで世間話をして、その後近くの居酒屋へ皆で食事に行った。

 北川さんは昨年ぶりの再会であった。
 新年会も幹事会も、体調不良と中国出張で会えていなかった。
 ダイビングのCカードを取りに行きたいね〜。と話していたが、メンバーがあと2人くらいいないときびしいよね〜。なんて話をした。もう、8月なので来年に持ち越しかな。なんて気がしている。きっとゴルフよりも楽しいと思うので、誰かあと2人集まれば企画するんだけど、それも急がないと9月末には海の季節が終わりかけて、10月には寒中水泳かしてしまうんだよね〜。と思ったりした。ということで、来年の課題かも。

 幹事会も随分と人数が減ってしまった。
 私が校友会に参加し始めた時には常時15人くらいいたような気がする。
 あの人たちはどこへ行ってしまったんだろう。
 皆仕事もあるし、個人的には絶対出て来いと強要するようなスタンスは取っていないので、人が減ってしまったような気がしている。
 30代の幹事があと2人、20代の幹事があと4人くらいいたらいつでも支部長の職を渡せるのにな〜。と思う今日この頃である。
 個人的には、私の支部長職もなるべくみんなに廻して経験してもらう方がいいのではないかと思っている。
 経験しないとわからないことだらけなので、一度やってもらえば苦労もわかるし、人のありがたみもわかるのである。そして、何より人脈が大いに増えると思っていたりするのである。
 9月8日は支部総会です。それまでにまだやるべきことはたくさんある。
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2012年08月06日

甫水会阪奈支部総会出席(8月4日土曜日)

7月31日火曜日から8月3日金曜日まで社会保険労務士事務指定講習会が毎日開催され、毎日6時間の講習を受けていた。
その講習もやっと終了し、8月4日土曜日の午後天満にある太閤園での甫水会阪奈支部総会に出席してきた。

甫水会は東洋大学に通う父兄の会である。
大学時代、学校の前に「甫水会館」なるものがあったのは知っていたのだが、最後まで「これって何ぞや?」と思っていたのがこれである。それ程知名度が低いものだったのである。
甫水会のイメージは大学版PTAである。
そもそも自分自身、大学生って大人の仲間入りをしているものだと思っているので、父兄会って必要?という気もしていたのですが、私の私見などどうでもよく存在しているのである。

で、出席してきました。
出席者は約20人。大学職員の方が2名(法学部の教授と就職キャリア支援部の人)と甫水会会長が1名の計3名が東京から来られていた。そして、校友会からは私が出席した感じである。
甫水会は父兄の会なので、東洋大学卒の人は甫水会会長と私だけだったかもしれません。(就職キャリア支援部の人はどこの大学出身か不明です。法学部教授は他大学出身でした。)
ということと、父兄にとっては子供の母校かもしれないが、父兄の母校でもないので私からしたら完全にアウェー感がある感じでした。(まぁ、大阪府支部の総会をやったところで、皆親ほど年が離れている人の前で話すのでそれはそれでアウェー感ががるのだが、、。)
ということで、とりあえず私が話すところでは、校友会とは何ぞやということと、9月8日に開催される支部総会の案内をした。「現役生の方も招待しますからね。」という内容である。といっても、ほとんどの人が体育会の父兄なので、「息子はずっと合宿で帰ってくることがあまりなく、、、。」という内容ばかりであった。一人だけ、体育会系ではない父兄がいて私の席の隣だったのでその人と話をよくした。
やはり親も子の就職が気になるみたいだった。
体育会の人は先輩のつてで就職があるのだが、一般組は私も経験したようにそれはそれで大変なのである。が、今考えると大学時代はやりたい方向性も決まっておらず、将来どうなるかやどうしたいかのビジョンもなく就職していったので致し方なしというところである。
後輩君たちに言いたいのは、用がなくてもいいので我々先輩と接点を持って、社会人になるとどういう考えでどう行動してるのかを見てもらいたいと思う。特に社会で成功している先輩に出来るだけ会ってもらいたいと思う。校友会の役員をやっている先輩ならばたいていがウエルカムで会ってもらえると思います。そして、先輩から他の先輩を紹介してもらってわらしべ長者をやっていくとだんだんと方向性ややるべきことが見えてくると思います。個人的には、大阪出身の現役生は連絡をしてきてもらって、総会にも出席してもらいたいと思っています。

会議の議事進行中に先生から各父兄が呼ばれ成績の件の面談を行っていた。
びっくりである。二十歳超えて「お宅の息子さんの成績こんなんですわ。」と言われるのである。自分自身の大学時代の成績は恐らく中の上くらいだったと思うが、それでも親が「お宅の息子さん、、、。」のくだりを言われていると思うと穴かあったら入りたい感じである。まぁ、我が家は「お前バカだから中学出たら働け!」と言われていたのでそれで意固地になって大学にいった感じなので、成績云々を言われたら「本人の問題なので本人に言ってくれ!できればやめて働いてくれた方がいい!」と言って終わりだろうと思うのだが。

総会の後、そのまま食事会だった。
隣に座っていた法学部の教授といろいろと話をした。法学部の教授なので当然私も法律の話をした。
先生は私のこれからの職業に興味を持たれていた。
文学部国文学科卒業なのに、行政書士・社会保険労務士になろうとしているところである。
先生曰く、大学在学中に行政書士や社会保険労務士の資格を取得できる人は滅多にいないとのことであった。そりゃそうでしょう!15年前の行政書士ならまだしも、今の行政書士の試験は自分で言うのもなんだが結構難しいですよ。1年はきっちり勉強していかないとちょっと勉強したレベルでは難しい試験になってしまってるんですよね。ただ、行政書士にせよ、社会保険労務士にせよ誰にでも取れる資格であることは間違いないんですよ。それは、私が身を以て立証していますから!というような話をした。
八士業(弁護士、公認会計士、弁理士、税理士、司法書士、土地家屋調査士、社会保険労務士、行政書士)の中で、仕事をしながら取れる資格は、社会保険労務士と行政書士しかないと思います。他は毎日を試験勉強に充てて受かるかどうかの試験ではないかと思います。という事で、学生さんには社会保険労務士か行政書士の資格をまずは目指して勉強してもらいたいな〜。なんてことを話していたら、もし、時間があれば学生にそんな話をしに来てもらえれば、、、。という話になった。
喜んでいきますよ!ただ、交通費がかかるので上京する予定に絡めてじゃないといけないんですけどね〜。
ただ、私から言えることは、八士業の中で今一番取りやすいのは社会保険労務士だと思っています。8科目で、テキストだけでも2000ページくらいはあって、標準学習時間が800時間と言われる試験ですが、社会保険労務士試験のいいところは、合格基準点までの知識は必ずテキストから出題されることです。つまり、試験会場に行くまでにある程度勝敗がわかる試験なのです。テキストをさぼって覚えていないところがあれば落ちるし、完璧に覚えていればよほどのミスをしない限り受かります。それに比べるとほかの試験は、テキストを完璧に覚えているのが前提でテキストと過去問レベルは完璧に解けたうえで未知の問題が出てきて、それを解けるかどうかが勝敗のカギになるのです。ということで、今手を付けるのなら社会保険労務士試験がお勧めです。
なーんて話をしたりしました。

そんなこんなで、隣に座った法学部の教授と話をした甫水会でした。
ちなみに大阪府支部の前支部長藤田氏も行政書士の資格ホルダーです。
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2012年07月30日

支部だより発送終了

昨日7月29日、やっと今年の支部だよりを発送できた。
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今年の支部便りの発送は、7月29日時点でメール便646通だった。
 夫婦の方は一つの封筒に入れて、支部だよりは1部、支部総会の返信用はがきは2枚で送って、全体の件数を若干減らした。
 
 今年の支部だよりは、我ながら内容を充実できたと思う。いろいろな人に原稿を頼んだのだが、皆面白い文章を書いてくれて非常にありがたかった。おかげで通常よりもページ数1.5倍の増刊号化してしまった。(そのために印刷費も1.3倍くらいかかってしまったのだが、、、)
 私も何か書こうかと思っていたが、表紙の超つまらない文章と編集後記を書く程度で済んでしまった。(まあ、もっともつまらない文章だったかもしれないのだが、、、。)
 とともに、人に頼んだ原稿のチェックを念入りにやったおかげで己のプロフィールが間違っているのを見落としてしまった。不覚、、、、。

 最終12ページ 幹事プロフィールの中の 猿渡直人のプロフィール
 ×2011年行政書士事務所開業     →○2012年行政書士事務所開業
 ×2011年秋には社会保険労務登録予定 →○2012年秋には社会保険労務士登録予定

が正解です。 あ〜ぁ、バカだな俺。
 明日から4日間社会保険労務士の事務指定講習に出席して9月1日の登録を目指しています。

 今年の支部便りの発送手続きは、ほぼ私一人でやったような感じだった。疲れた、、、。
 支部だよりの原稿依頼、企業広告の依頼、印刷屋さんとの打ち合わせ、宛名作成、同封する書類(支部だよりの送付案内、支部総会開催の案内、会費納入のお願い、そして自分の広告、名刺の印刷)の作成の全てをほぼ一人でやっていた。おかげで7月は支部だよりにかなりの時間を費やすことになってしまった。今年は会社を育児休業しているので時間が取れたが、来年の7月は行政書士・社労士としてバリバリ仕事をしていたいと思っているので、来年はどうなるかかなり不透明な感じがする。
 今年の支部だよりは発送が約1週間から10日遅くなってしまった。それもひとえに、記事の集まりが遅かったからだ。名指しします。「校友会に私を引き込んだ中野さ〜ん。あなたの記事が最後でしたよ〜。」あぁ、彼は私を校友会幹事会に引き込んでおきながら幽霊幹事になってあまり出てこないのである。
 それにしても中野さんは13年前私を幹事会に引っ張り込んで、そいつが支部長になっているだなんて、「ポンビキとしてあなた出来る子ですよ!」と言ってあげたい感じである。

 発送して早々にクレームがありました。
 詳細は記載しませんが、この場をお借りしてお詫びします。
 申し訳ございませんでした。
 内容物についてもクレームがありました。
 支部長の私が私物化したものを入れているとのご指摘です。
 支部だよりについては、広告費をいただいてその広告費を支部だよりの原資として制作しています。今年は企業広告7社と名刺広告を4名いただいております。私個人としては、名刺広告と個人的な広告を送付状裏に印刷しております。
 特に私の広告を不快に思われた方にはお詫びいたします。
 毎年ですが歴代支部長が支部だよりの発送の手配および制作を続けてきております。特に今年は制作が遅れて、本来ならば幹事会で封筒詰め作業を行っていたものをほぼ私と私の子供、配偶者で行いました。私は支部長をやっていますが、校友会の支部長をやったからと言って学校から給与が出るわけでもなく、完全なボランティアです。支部便りの作成から発送までにはかなりの時間を費やしています。しかも、自分自身も名刺広告を掲載しているのでお金を払ってやっている感じです。という事を考慮していただき、広告を同封したことはお許しいただければと思います。
 また、逆に来年以降は広告の同封でお金を取って支部だより製作費に充てるというのも案としていいのではないかと思っています。(支部だより製作費と発送費、支部総会開催費で赤字になっているところを、本部からの事務費用などで補てんしている状況が続いていますので、黒字化するためにはアイディアとして「あり。」かと思います。)なぜなら、支部だよりの制作費に充てられるうえに、校友限定の企業広告なので一石二鳥ではないかとも思ったりしています。
 いずれにせよ、卒業生650人に対して支部会費納入者が約2割5分で支えている状況では、出来る限り収入を増やして支出を減らすことを考えなければ運営できない状況です。
 
支部だよりと総会の案内は、大阪の卒業生全員に発送しております。名簿は支部長の私宛に校友会本部からいただいております。
 今年の支部総会の案内は、会費を払っていただいている方には、お名前を入れた案内に致しました。(結構名前を書く(打つ)作業が大変でした。)会費未納の方には全員同じ内容のもので発送しております。
 本部からの支部だより発送補助金では、発送費は会費納入者分のみの交付のため、今回も卒業生全員に支部だよりを発送してため、発送費のみで赤字化しております。しかし、会費納入者のみにしか支部だよりと総会の案内を出さないというやり方を取ってしまうと、今後の卒業生の交流の場が縮小してしまうと考え、伝統的に大阪に在住している卒業生全員に支部だよりと支部総会の案内を発送しております。
 支部だよりを受け取られた方は同封している「支部総会出欠のはがき」を早めに返信していただけますよう願いいたします。
 料金後払いハガキなので切手は不要です。

それにしても支部だより作成から発送までかなり疲れました。あとは、9月8日に支部総会を開くのみです。そのためにはまだ支部総会の式次第作成と返信はがきの整理、総会出席者向けの案内状作成、名札作成などまだまだ気が遠くなる作業が待っています。

総会が終わればやっと一時的に校友会からは自由の身になれます。
9月からは行政書士の研修もたくさんあるし、社会保険労務士の研修もあるだろうし、今回の広告の効果があったら仕事も発生するかもしれないし。ということで、忙しくなる見込みです。

誰か支部長代わってくれないかな〜。
posted by 猿渡 at 23:18| 大阪 ☀| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

支部長会議出席(ブロック会議)

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平成の大改修の姫路城です。エレベーターで屋根の上まで見ることができます。

7月7日土曜日世間一般には「七夕」の日である。
 今日は姫路で近畿2府4県のブロック会議があるので出席した。
 朝10時半に家を出て、阪急と山陽電車を乗り継いで姫路に向かった。前日夜は大雨だったが、今日は何とか晴れていた。梅雨も終わりに差し掛かっている感じの日々である。
 支部長会議は14時からだったが、少し早めに行って久々に「らーめんたろう」に行こうと思っていた。
兵庫県なので神戸でやってくれればいいのだが、東洋大姫路が読んで字の通り姫路にあり、東洋大の卒業生も姫路出身が多く、さらに現支部長も副支部長も姫路の人なので、当然ながら兵庫県支部の催しは基本的に姫路で行うのである。
 姫路は自宅から車で1時間だが、電車だと2時間かかるのである。それはそれは遠いところなのである。
姫路に向けて山陽電車に乗っていた。
電車の中で11時半ごろ電話がなった。(とはいえマナーモードだが)電車内なので電話に出るのは嫌だったのだが、電話を見たところ和歌山の宮内支部長だった。電車の中を見渡したら、ほとんど人がいなかったので、人がいるところから離れて電話に出た。
「今朝の雨で阪和線が止まっていて、日根野で足止めされているから遅れる〜。」とのことだった。日根野と言えば、和歌山と大阪の中間地点位である。全然進んでいない感じだ。わかりましたと応えて電車に揺られて姫路駅に着いた。ちなみに、姫路駅までの間の2時間はずっと「行政書士の花道」という本を読んでいた。この本は行政書士の人が書いた行政書士の仕事をモデルにした話で、行政書士の仕事がわかりやすく書かれた物語になっており、行政書士になる人には面白い本である。以前この本は一度読んだのだが、内容を忘れていたのでもう一度読んでみたのである。なかなか参考になった。

姫路について、らーめんたろうに行ってみた。
いつもは姫路南インターを降りてすぐのらーめんたろうに行くのだが、歩いていくには遠いので、ネットで調べた駅の近くのらーめんたろうに行ってみた。
閉まっていた。が〜ん。
仕方なく、歩いていたら出てきた魚介系スープのラーメン屋さんでラーメン大盛りを食べた。まあまあの味だったが、今日はらーめんたろうでラーメンとキムチの食べ放題を食べる気満々だったので、ちょっと不完全燃焼であった。
ラーメンを食べて、会議の会場であるイーグレ姫路に行った。
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イーグレ姫路は姫路城の目の前にある市の会議場みたいなところだった。
イーグレ姫路に着いたのだが、どこに行けばいいのかわからないままとりあえず3階に会議場があるみたいなので行ってみた。
 掲示板があったので見ていたら、東洋大の会議室は図書館の裏にある部屋のようだった。到着したのが13時45分だったので、14時集合にちょうどいい時間である。
図書館の所で京都の佐藤支部長が座っていた。
声を掛けたら、「来てみたら誰も来とらんのや〜。」と不平をこぼしていた。「そうなんですか〜。」と言って会議室に行ってみたら、半分くらいの人がすでに来ていた。「来とるやないかい。」と思ってしまった。
ほぼ定刻の14時に和歌山の二人を除いたメンバーがそろったので会議がスタートした。
で、17時過ぎに会議が終了した。
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大阪からは、私と2年前に卒業した山田さんとでの出席だった。(最年少コンビ)
よく、他支部の人から私に、「大阪は若い人がやってていいね〜。」なーんて言われるのだが、今回も言われたような気がする。残念なことだが、私は既にアラフォーで実はそんなに若くもないのである。最近行政書士になって、周りをみたら20代の人でもバリバリできる人がいたりして、少々出遅れ感を感じでいたりするくらいである。山田さんに関しては、事実若いのであるが。ま、いずれにせよ、支部運営で若返りをしたければ、早々と若手に引き継ぐのがいいのではないかと思う。毎度のことながら思うのだが、支部長の仕事は事務屋なので、事務ができる人が一番である。と思うのであるが、、、いかがでしょう?と思いつつも、大阪で手ごろな50代くらいの人がいなかったから私が支部長なのである。

会議の内容は、式次第には@平成24年度事業計画に基づく意見交換 A各支部の運営状況 B校友会組織のあり方 Cその他 だったので、私はその話しでとくに@とAについて話がしたかったのだが、ほぼその話にならなかった。
私としては、先輩方に支部の運営のノウハウと各支部の卒業生に対する情報の発信と交流のはかり方について知りたかったのだが、どうやら伝統的に近畿ブロックでは大阪府支部が一番活発に動いているようであった。
HPを作っているのは大阪だけ、ブログを作って運営されているのは大阪と兵庫だけ。支部だよりを独自発行しているのも大阪だけだった。
私自身校友会組織がどうなろうが、知ったこっちゃないのである。ただ、今現在の支部長としてきっちり仕事をしてきっちり後輩へつないでいけるようにしなければいけないと思っているのである。そのための働きとして、最低限、支部だよりの発行と支部総会の開催、支部長としての活動や支部の活動をブログ形式のHPで発信するという事をやっているのである。
支部の活動を、逐一600人を超す大阪の卒業生に書面で送るなんて予算も労力もないのでこの場を借りて報告しているのである。それに、校友会に興味を持てるようにHPには幹事の紹介を顔入りで入れたり、こんなブログを逐一書いたりして工夫を凝らしているのである。
支部の運営費もなく、ボランティアでやっているので、これ以上どうすればいいのだろう?という感があっての情報交換がしたかったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。
会議が終わってから、懇親会で和歌山の宮内支部長と兵庫の金沢支部長と話していたら、宮内支部長が大学の支部ブログをやろうと思っていると話していた。「やれやれ!誰がいて何をやっているか得体のしれないところに誰もこないぞ!」と思うから。というような話をしたような気がする。
そんなこんなで今日の会議と懇親会は終わった。
今回の会議に出席された皆さまお疲れ様でした。
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会議を主催した兵庫の金沢支部長、出張で来られた安本副会長、校友会の村瀬さん、遠山さんには、本当にお疲れさまでしたという気持ちでいっぱいです。
というのと、今になってやっと村瀬さんと遠山さんの顔と名前を覚えました。すいません。ずっと名前と顔が一致していなくて。なぜか清水さんは一発で覚えたりしていて。とはいえ、遠山さんは魅力的な感じがしました。私より若干年上だと思うのですが、仕事ができる大人の女性の感じでとても魅力的です。(若干セクハラ気味か?)

そして、帰りもまたもと来た道を山陽電車に揺られながら行政書士の花道を読みつつ帰りました。おうちに着いたのは10時過ぎでした。
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めでたしめでたし。
posted by 猿渡 at 00:26| 大阪 ☁| Comment(2) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月23日

天門美術館池田先輩訪問&株式会社明星中村先輩訪問

6月20日水曜日
前日、ちょっと早めの台風が日本列島を横切っていった。
梅雨に入ったことと、台風が相まって今週はずっと天気が悪かったのだが、この日だけは曇りで雨が降らなかった。
支部長の職の一つで「支部だより作成」という作業がある。
地味な仕事だが、年に一回大阪府支部から送られてくる支部だよりも誰かが作っているのである。もちろん、記事は各自に書いてもらっているのだが、取りまとめは誰かがやるのである。誰かがやるという事は私がやるという事なのである。
1週間ほど前に、前もって明星の中村先輩に電話をしてアポを取っておいた。
「申し訳ないのですが、今年も支部だよりに企業広告を載せてもらえませんか?つきましては、ただ電話でお願いするというのも申し訳ないので、一度支部の現状などをお話にご挨拶にお伺いします。」
てな感じでアポを取り付けていたのである。
株式会社明星の中村会長は超多忙である。
アポを取り付けるまでに恐らく10回くらい電話をした気がする。
会社には朝と夕方しかいない。その間に経営する幼稚園に行ったり、仕事の打ち合わせに行ったりしているようである。ということで、なかなかつかまらなかったのである。
やっとつかまえて、20日16時にアポを取り付けたのである。
本当に忙しいところを申し訳ありません・・・・。

16時に寝屋川香里園なので、それまでに時間が空きます。
そこを埋めるのにもってこいだったのが、枚方にある天門美術館の池田先輩である。
池田先輩とは、昨年の支部総会と天門美術館での学長講演の際に話した程度で、さほど話したことがなかったので、ここはいっちょ話に行ってみるか!ということで、池田先輩にもアポを取り付けてみました。
14時〜14時半くらいに伺います。自転車で、、、、。
毎度ながら、豊中から枚方まで自転車で来るってのは普通はバカな奴がやることである。
枚方は、おけいはん(京阪電車)で淀屋橋から行くところである。

枚方までの地図をプリントアウトし、昼食を食べて子供のおむつを替えたりしていたら1時前になってしまい急いで家を出た。
本来ならば中央環状線を通って、鳥飼大橋で淀川を渡るのが最短コースだと思ったが、自転車で走りにくそうだったので、豊中から江坂へ向かいそこから内環状線経由で枚方に向かうことにした。
 前回の大野先輩訪問の際と同じコースを順調に走りつつ、緑地公園の辺りまで来てプリントアウトした地図を持ってくることを忘れてしまったことに気が付いた。すでに手遅れである。ま、ある程度道はわかっているので大丈夫だろうということで走って行った。
今回は、愛車のオルベア号なのでスピードも出るのだが、やはり街乗りをしてしまうとアベレージ20km/hくらいしか出ないのである。
結構気合を入れて走って淀川まで到達し、淀川の河原にあるサイクリングロードを経由し、橋を渡って1号線に出て、走って行ったら天門美術館に到達した。約1時間20分かかった。到着したのは14時20分くらいだった。

天門美術館、、、、、、、、、、、、、、知られざる美術館、、、。
池田方彩先輩の父、池田遊子の作品が展示されている美術館である。
池田遊子、、、、、、、、、、「知らない。」という人がほぼ大半でしょう。私もよく知りません。池田先輩のこともよく知らない。という事での今回の訪問なのです。
ちなみに、池田遊子とgoogleでググってみたら結構ヒットします。彫刻が多い気がします。彫刻、、、。ロダン、、、考える人、、、地獄の門、、。あとは、デ・キリコの彫刻が御堂筋にあるくらいが一般人での知ったところではないだろうか?
要は、すごいかどうかよくわからないのである。
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去年の学長講演会(私の中では催眠術師の説法会)以来に会いました。(今年4月に突然池田先輩の知り合いの岩瀬氏を紹介されていた。)
訪問して、まずは校友会の現状などの話をした。とりあえず事務的なことなので、言っちゃ悪いが、どうでもいいことである。立場柄校友会の話をするが、どうだっていいのである。校友会はきっかけで、それを通して知り合いになって訪問して楽しく話ができる関係になることが校友会のコンセプトなので、今回の訪問では既にきっかけレベルはとっくにクリアしているので、あとは対個人としてのお付き合いなのである。
私は池田さんを今までかなりミステリアスな存在だと思っていた。
美術館の館長なのだが、どうやって生計を立てているのだろう?どういう人なのだろう?という疑問があった。
池田先輩はPCを使わないので、美術館のホームページもなくあまり外に向かって宣伝をしているような感じもしないのである。美術館経営でも、1日30人くらいは人が来ないとやっていくのがきついだろう。と思っていたのである。
訪問して話をしていると、池田先輩は宝塚造形大学改め宝塚大学で講師をしているとのことだった。なるほど納得。それならば生計方法が理解できると感じた。ちなみに「池田方彩」とググったら天真爛漫是吾師 [単行本]というのが出てきた。あとは、画像のところで何枚か池田方彩さんの写真が出てきて、ちょっと下を見ていくとかわいらしいお姉さんの写真が出てきた。どうやら「池田彩」さんという人らしい。きっと池田先輩とは無関係という関係だと思います。
池田先輩との話は意外と盛り上がった。昨年の学長講演会の話題では、私には催眠術師の説法だったが、池田先輩にはすこぶる感銘を受ける話だったそうだ。
「なんか、学長って人気ないんだって?うわさで聞いたんだけど。」というので、「催眠術を使ってみんなを眠らせるからじゃないですか。」な〜んて話からそんな風な話題になった。
池田先輩の中では、竹村学長はすごく教養があって真摯で人当たりが良くて興味深い話をしてくれる人のようだ。なのに何故学長に再選されないんだ?と思っているようだった。
私の考えでは、竹村学長はすごく教養があって真摯で人当たりが良い催眠術師で何を言っているのかわからない人。というか、催眠術にかけられると何を言ったかすら分からなくしてしまう人なのである。
だから、大半の人は催眠術にかけられてしまうから、人気がないんじゃないですかね〜。なんて話をした。
池田先輩にとっては、催眠術師なところが理解できないようであった。
それは、池田さんが竹村学長の話に興味があるから面白く感じるのだと思いますよ。これから私が法律の話について小難しく話したら(小難しく話せないけど)きっと眠いと思いますよ。というような話をした。
まあ、私にとっては竹村学長が再選されようがされまいがほぼ無関係という関係なのだが、、、、。
 池田先輩とはその後いろいろな話で盛り上がって話をした。前に校友書籍紹介をした岩瀬氏の話などもした。
 個人的には岩瀬氏は「スゴイ!」と思っている人物である。著書を読めばわかるのだが、あれだけの文章力と取材力がある人間もなかなかいないと思う。ただ、池田先輩曰く「あれだけの取材であれだけのことを書いたら快く思わない人もいて訴えられたりしていることもあるらしいよ。」と言われていた。確かにその通りだと思う。岩瀬氏の著書では竹下登や年金、グリコ森永事件など光と影の影の部分をあぶりだしていることもあると思うので、身の危険もあるのではないかと思う。
 そんなこんなの話で盛り上がって話をしているので、16時に明星の中村先輩のところに行かなければいけないのに、15時45分まで話してしまった。
 今度は、岩瀬氏が来阪した時にでも食事をしながら話をしたいものである。と思いつつも、今度上京した際には会いに行きたいとも思っている。やっぱり興味深いのです。これから社会保険労務士として生計を立てていこうと考えている立場柄、年金問題を専門としていて、日本年金機構設立委員を務めた人と話をしてみたいところである。
ちなみに、岩瀬氏のことをネットで調べていたら、こんなんも出てきました。http://kikusuimaru.jugem.jp/?eid=2788
恐るべし岩瀬氏。新聞詠み河内音頭家元まで触手を伸ばしていたとは、、、!!なんてね。

池田先輩との話は途中で打ち切った感もありつつ、写真を撮って急いで明星の中村先輩の香里園に向けて一号線を南下することとなった。

やばい!遅刻かも。という時間であった。
社会人として時間が守れないのは社会人大失格である。ましてや忙しい相手にお願いをしに行くのに遅刻なんてかなりのダメ人間になってしまう。
と焦りつつ枚方から一号線を下って香里園に向かった。
駅でいうと、2駅とのことだったが、10分ちょっとで着いた。下り坂でのロードバイクは50km/hくらい出てなかなか早くて小回りも効くのである。

明星についたら、駐車場のところに中村先輩はいらっしゃった。
一応、16時訪問の約束でほぼピッタリに到着したのだが、「おっせ〜な〜。」と思っていたかもしれないと恐縮してしまった。
本来なら社会人として、5分から10分くらい早めに行くべきところである。

ついてすぐ奥の部屋に通された。
汗だくだくである。
こうならないためにも10分前についてさわやかに参上するのがエチケットなのである。
恐縮しながらお話をした。
明星の中村先輩は昭和42年経済学部卒で、枚方香里園で不動産屋を営んでいる方である。支部長をやるまで中村先輩のことは、あまりよく知らなかったことと、ちゃんと話をすることは今回がほぼ初めての状況だったので、昔はサザエさんに出てくる花沢さんのオヤジ程度に考えていた。
かなりイメージと違っていた。
ちゃんとホームページをみて下調べをしていったのだが、花沢不動産と違いかなりハイテク不動産屋さんだった。
http://www.meisei.org/
従業員の大半が宅建主任者で行政書士を持っている人もいた。さらにFP資格を持っている人も多かった。
不動産屋なので宅建主任者がいないと重要事項説明ができないので皆宅建資格を取得し、不動産運用設計をするのでFP資格を取得、さらに契約や戸籍簿の調査などで行政書士を使うという正しい資格活用が感じられた。
それに比べて私の資格と言ったら、、、、、、会社をドロップアウトした時のお守り程度である、、、、。いいのさ、これからお守りが武器になるんだから!

中村先輩とちゃんと話をしたのはほぼ初めてである。昨年の支部だよりの広告依頼と支部総会の際に会って少し挨拶をした程度なのでほぼ話したことがなかったといってもいい状態であった。
昨年支部総会の際、中村先輩はかなり気難しそうな顔をしていたような印象を持っていたのである。どうも、眉間にしわを寄せていた感じで、支部総会が面白くないのかな〜(まあ、やっているこちらの立場からしても面白くないだろうと思ってしまう内容で恐縮だったのだが)。と思っていたので、会って話したところ普通に話ができる人で安心した。
 16時半くらいから出かける予定があるとのことだったので30分ほどしか話は出来なかったが、普通に話ができる人だった。そして、別に気難しい感じではなかったので安心した。
 ちなみに話題としては、校友会の支部の事について話をした。いざこざいざこざした話である。
 いろんなことがあります。嫌なこともたくさんですよ。
 まあ、あと1年半の任期があるのでその間はきっちりやりますが、後は留任するか放り投げるかわからないですが、とりあえず任期の間はきっちりやります。というスタンスです。な〜んて後ろ向きな話をした。「じゃー、あんたの時にやめてもいいの?」という話にもなり、「それは嫌ですね〜。自らが潰すのは。自分が退いた後はどうなろうが知らないけど、自分の時はきっちりやって後進に託したい。出来ればうまくいってほしいですけどね〜。」という感じです。と話をした。私のスタンスは、私ができることは最低限きっちりやって、後進に託したいと思っているのである。(まあ、それしかできないのでそれをするしかない感じです。)
 なるべく面倒なことは簡単にできるようにして、先輩後輩での顔つなぎが出来て、誰にでもできる支部の運営をできるようになってもらえればいつでも退けるんだけどな〜。と思っていたりするのです。
 まぁ、そもそも30代の私が支部長になってしまったのは、若返りとか改革とかそんなカッコイイものではなく単に駒不足と、私が独立するつもりだったのでちょうどいい時期が重なっただけなのでもある。
 そんなこんなで、支部の現状などの話をしてすぐに30分が経ってしまい、失礼することとなった。
d1206koyu2.JPG
 そして、また、元来た道をえっちらほっちらと自転車を漕いで帰っていきました。帰りはハンガーノックで行き路よりも余計に時間がかかってしまいました。結局この日は約55kmの距離を走りました。

池田先輩、中村先輩ありがとうございました。
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2012年06月07日

アンカー商事 大野先輩訪問


 支部だより作成の季節が来ました。
 支部長になって約1年が過ぎ、校友会の仕事も二廻り目になりました。
 支部長をやっていると、色々なことがあります。いいことも悪いことも、面倒臭いこともたくさんあります。普通に考えれば、面倒臭いことと嫌なことで90%くらいになってしまいそうですが、10%のいいことが90%の嫌なことを相殺してくれる(事実そうしてくれていると思っている。)と思ってやっていたりします。

 さて、大野先輩には昨日電話でアポを取り付けて、東三国の大野先輩の会社にお昼にお伺いすることとなっていた。
 我が家は豊中市蛍池に位置するので、東三国まで直線距離にしたら10km位かと思う。
 今日は、朝から太陽に金星が通過する話題で盛り上がっていた。
 7時半から射光グラスで太陽を除いたが、目の悪い僕には全く金星の影が見えなかった。次回百数十年後もどうせ見られないのでどうでもいい気持ちでいた。
 会社に行かなくなってプラプラしている私は朝から校友会の名簿整理をしていた。大阪府支部の名簿は約600人分あります。紙ベースで支部長にのみ校友会本部が送ってきます。そこには氏名、住所、電話番号、卒業年、学部、勤務先、会費納入種別が書かれています。それを面倒な作業だが、すべて筆まめに入力していきます。気の長い作業ですが、ある程度を前々支部長の平岡さんがやっていてくれているので、私はその手直しをする感じになっています。皆さんに発送されてくる資料はこんな地道な作業があって送られているのです。しかも、これは完全なタダ働きです。いわゆるボランティアというやつです。あまりにも面倒なので、だんだんタダではやっていられない気持ちになるので、支部だより発送の際には、会費納入依頼の裏には猿渡行政書士事務所のPRを印刷してやる!と思ったりしながら、行政書士って一般の人にはどんなふうにアピールしたらいいのだろう?な〜んて考えながら作業をしていました。
 だらだらと、名簿整理をしていたら11時前になってしまい「ヤベ!」と思って急いで着替えて自転車で家を出た。最近の私の行動は、半径20km圏内は基本的に自転車移動になっている。収入が途絶えつつあるのでお金のためと健康のために自転車に乗るようにしているのである。(ちなみに夜血圧を測ったら下が84もあった。痩せているのに成人病予備軍である。)
 家を出て豊中方面に順調に南下していった。東三国は新大阪の手前で、江坂から神崎川を渡った次の駅である。
 江坂へは浪人時代毎日通っていたので、久々に懐かしい道を走って行った。浪人時代はすでにもう18年も前の話である。時間が経つのはあっという間である。浪人時代の道はなんとなく若干家が変わったりしていたが、おおむね同じ風景だった。
 途中、服部緑地公園を通過した。緑地公園では豊中天文協会が太陽の金星通過観測会をやっていた。望遠鏡が並べられており、金星を見せてもらうことができた。次回の金星通過も観られないので、一生金星通過を見ることができないと思っていたので見られてラッキーだった。なかなか面白い催しだった。
 そして、江坂を通過して11時50分頃に東三国の大野先輩の事務所に到着した。
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 大野先輩は昭和42年経済学部商学科卒業の大先輩である。
 アンカー商事は、韓国からキムチなどを作る際に使うトウガラシなどの香辛料を輸入して販売している会社である。HPを見ると年商1億4千万と書かれている。立派なものである。
 私が大学を卒業して校友会に入った際に、大野先輩が幹事会に出席していた記憶がある。いつの間にか大野先輩は幹事会から消えていたのだが、当時から面識があったため会いやすい感じである。そして、近年まで大野先輩は「キムチ屋のおやじ」と思っていた。所謂韓国人街などで軒を並べているキムチ屋で、八百屋の大将みたいな感じで「え〜、キムチ安いよ、安いよ〜。」とガラガラ声で売っている人かと思っていた。かなりの誤解である。大野先輩曰く、「3か月に2回くらいの頻度で韓国か中国に買付と打ち合わせに行くよ。」とのこと。インターナショナルな商社マンと同じである。へ〜、すごいもんだな〜。と感心してしまった。ちなみに、大野先輩は、大学を卒業して父が商売をやっていたのを手伝いながら、現在に至ったそうである。本人曰く、大学時代は勉強なんかしないで麻雀ばっかりやっていたとのこと。話を聞いていたらきっと本当に麻雀ばっかりやっていたんだろうと思ってしまった。
 事務所では、校友会の現状などを話した。赫赫云々、、、。
 いろいろなこともあるが、支部だよりに広告を載せてくれて、お金をいただけていることは、校友会を支持してくれているんだな〜。とありがたく思ったりしております。
 ちなみに、現状の校友会大阪府支部の内輪の話を書くと(大野先輩に話をした内容だが)、支部だよりを発送し、支部総会をやった時点で支部の預金残高はマイナスに突入しています。校友会本部から、支部への交付金(皆様が年会費を払ってくれた一部)が入金されるまで事実上支部長が校友会支部運営費を立て替えている状況になっているのです。昨年も支部だよりに広告を載せていただき、広告費を払っていただいた先輩方がいたからこそ成り立っている状況なのです。校友会は営利団体ではないので、金儲けに走るわけにもいかないのでその狭間で非常につらい運営を支部長は負わされていたりします。
 そんなこんなの現状の話などした後、近くの寿司屋に昼ご飯を食べに行きました。そして、お昼のすし定食を美味しくいただきごちそうになってしまいました。食べ終わって店を出て、「実は僕魚嫌いだったんですよ。」と大野先輩にいってしまいました。でも、最近歳を取ったせいか、なぜかおいしく食べられるんですよね。ということで、今日の寿司は美味しく食べられてしまいました。最近わさびが効いたあっさりした寿司を食べるとおいしく感じられる年頃になりました。ああ、おっさんなんだな〜。と思う今日この頃です。そして、以前大好物だったチャーシューメンなんかは、何故チャーシューを必要以上にのせたがる?一枚でいいんだ一枚で!胃が持たれるだろ!と言いたくなったりします。なにはともあれ、お寿司ご馳走様でした美味しかったです!
 お寿司を食べて挨拶をして帰ることにした。帰り際に、江坂の織田先輩の事務所によってみようかと思い電話をしてみた。不在だった。今度訪問しよう!と思ったが、帰り道に事務所の近くを通ったので、とりあえず名刺を置きに訪問した。今度改めて連絡しようと思うが、私が校友会に参加し始めた際のメンバーだった織田先輩にも会って話がしたいと思ったりしている。
 こうやって大学の先輩や後輩と会って接点ができることが支部長をやってよかった点ではないかと思います。全国一の若造ですが、すでに40歳手前です。若造の歳ではない年頃です。どうせなら、若手の時に恥をかいてでもこういうことをやったら後々の人生で糧になるのではないかと思っています。(というか、そう思わないとやってられません。)なーんて、思います。
話は変わるのだが、最近行政書士会に入会したのでそちらのことも考えていたりするのですが、私が入会した行政書士会大阪府豊能支部では、普通に活動していたら入会10年以内くらいで支部長職が回ってきたりするそうです。支部長は中堅がやって大御所と若手のパイプ役となり活発に活動をしているようです。行政書士会は皆生活が懸かっているし、その地域に在住していることがはっきりしているので参加してくるのですが、校友会も同じような感じで運営できれば理想的だな〜と最近考えていたりします。早く次の支部長候補を探して、少しずつ仕事を割り振ってうまく運営できるようにするつなぎ役をうまくやらなけばいけません。

 帰り道再び服部緑地を通った。
 まだ金星の観測をやっていた。もう一回望遠鏡を覗かせてもらった。あと数分で太陽の枠から金星が出てしまう直前だった。今日は行も帰りも金星をみられて、百数十年に一回の天体ショーを結果的に満喫できてしました。

大野先輩ありがとうございました。
大野元
東洋大学経済学部商学科 昭和42年卒
有限会社アンカー商事 代表取締役
http://www.anchorshouji.co.jp/index.html

posted by 猿渡 at 13:41| 大阪 | Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

中西ひろみ・蘭景二人展


この活動報告、毎回毎回アホみたいな文章を書いちゃアップデートしていて誰か見とるのか?と思いつつ書いているのですが、意外や意外、富山支部の人やら前々支部長なんかもたまに見てくれていたりします。
 あえて言おう!「面白くするためにわざとアホになってますから!!!!!」本当は、俺、すごい硬い人ですから。たとえると「波平」です!!、、、、、「誰だ?波平はお前のヘアスタイルだろ!」とツッ込んだ奴は!?

 4日前から春風邪になり、昨日5/12土曜日からは声がほとんど出ない状態となってしまいました。普段おしゃべりな性格なのに、無口でいるのは辛かったりします。
 さてさて、今日(5月13日(日))は「中西ひろみ・蘭景二人展」を観に京橋に行ってきました。
 今日も相変わらず声が出なく、配偶者からは家で安静にするように言われたのですが、明日は行政書士の登録証授与式があり、金曜日からは東京へ東洋大学の評議会に出席しに行かなければならないため、展覧会は火曜日までやっているのだが、なんとなく今日行かなければ、行かずじまいになってしまうかも、、、。と思ったので15時過ぎからいつもの自転車で突撃することにしました。
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 会場の京橋画廊は、我が家から自転車で1時間ほどです。距離にすると16〜17km位かと思います。
 前回の京都と違って、先週末から急に寒さが戻ってきて、今回はジーンズにダンガリーシャツを着ての突撃となりました。明らかに前回より厚着でしたが、今回は暑くなく行くことが出来ました。
 15時過ぎに家を出て、16時過ぎに画廊につきました。画廊は、京橋で1号線沿いの2階にありました。こんなところで、2階の画廊なんて人が来るのだろうか?と思い入って行ったら、10人ほどお客さんがいました。すごい!
 我が両親は、毎年阪急池田駅の画廊で展覧会(油絵の絵画)をやるのだが、なかなか人が来ないといって嘆いているのだが、この立地条件でこれだけお客さんがこればなかなか大したものだと感心してしまった。(と言っても、日曜日の午後なので一番来るだろう時間帯に行ってしまった気もするのだが、、。平日の午前中なんて個展の店番してても暇なもんですよ。)
 着いてすぐに、中西さんに途中で購入した差し入れを渡した。中西さんには去年秋にサツマイモをもらっていたのだ。それもあったので、ささやかながらのお返しがしたいと思っていたのだ。だが、出かける前に配偶者にと展覧会をやることがある母から言われた事は、「手ぶらで行って作品買って帰るのが一番喜ぶで!」だったが、今回は何も買って帰らなかった。
 中西さんはについて私の印象では、非常におとなしい方であまり外に出ないタイプの人に思えていたのだが、こんな風に陶芸の特技があり、こんなに人が来る個展を開いていたとは少々意外に思えてしまいました。
 それにしても、先週の井街さんといい、中西さんと言い、どことなくうらやましいようなスローライフを送っているように感じられました。陶芸を作って、それに絵を描いて、個展をやって、そして、友達がくる。なんてハッピーな感じなんだろう!と思ってしまいました。
 中西さんともいろいろとお話をしたかったのだが、今日は「声が出ない!!!」なんです!普段人十倍以上おしゃべりな僕の声が出ないんです!ハッキリ言って、面白話が出来る余裕と声帯が今日はないんです!「申し訳ない!中西さん、今日、俺つまんない人間なんで、帰ります。」と声を大にして言いたいところだったのだが、それすら言いづらい感じだったので、蚊の鳴くようなかすれ声で、「長居して自転車がなくなるといやなので帰ります。」と言って10分位で帰ってきてしまいました。(ま、18時くらいまでに家に着くには、16時40分位には京橋を出なければいけないと思っていたので、丁度時間的にもいい感じだったのです。)
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猫さん亀さんv
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 そんなこんなの、中西さんの個展でした。
 おっと、肝心な個展の感想ですが、中西さんの陶芸作品でコップや湯飲み、お茶碗から犬や猫、亀などの置物、蚊取り線香入れなどたくさんの作品がありました。面白いものが多く、値札を付けてあり、その場でお持ち帰りできる個展でした。(だからこそ、買って持って帰るというのが、一番本人が喜んでくれるお土産なんですよね。)
 ただね、買って帰るとどこに置いたらいいんだろう?とか、コップはミスドコップばっかり使っているから、使わずじまいになりそうだし、陶品は、姉が作った陶芸作品が庭や玄関先に並べられている状況なので、数日から数年後にあれらの隣に並べることになってしまったら申し訳ないので、これ以上ものを増やさないという選択肢を選んでしました。
 そんなこんなの中西さんの展覧会でした。(はやめに告知しておけばよかった。)そして、二人展の書をされている、蘭景さんの書と絵のコラボレーションについても上手だな〜。と感じました。私、明日代書屋行政書士の登録証授与式なんですが、字下手なんです。代書屋に向かない人間が代書屋やることになっちまう変な世の中になってしまいました。いろいろと話したいことがあったのですが、何分声が出ない残念な人だった今日の展覧会でした。
posted by 猿渡 at 09:21| 大阪 | Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

校友書籍紹介

血族の王

血族の王
著者:岩瀬達哉
価格:1,680円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る



故郷への思慕、父の没落と家名再興、身内への恩讐、そしてスキャンダル・・・・。
30万人を擁する家電王国に君臨し、「神様」とまで崇められた経営者。数多の神話
に彩られた、94年の生涯を丹念に追う。昭和という時代に自らのアイデンティティを重
ね、その終焉とともに鬼籍に入った男の生き様とは?幸之助評伝の決定版。

■作者紹介
岩瀬達哉(いわせたつや)
1955年11月
1979年3月   東洋大学文学部哲学科卒業
1983年〜    フリージャーナリストとして活躍
2004年
2004年     長野県調査委員会委員
2007年7月   総務省年金業務・社会保険庁監視等委員会委員
2007年8月   内閣官房の年金業務・組織再生会議委員
2008年11月  日本年金機構設立委員
2009年10月  年金記録回復委員会委員
2009年12月  社会保障審議会委員
現在、「年金ジャーナリスト」としてテレビ、新聞、雑誌等で活躍中です。
■著書
*「年金大崩落」講談社
*「年金の悲劇 老後の安心はなぜ消えたのか」講談社 2004年
*「年金大崩落 完全版」講談社 2007年
*「われ万死に値す―ドキュメント竹下登―」新潮社 1999年
*「新聞が面白くない理由」講談社 1998年

著者の詳しい紹介はwikipedia参照↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%80%AC%E9%81%94%E5%93%89
「日本の人事部」にて年金の話にも登場しています。↓
https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/28/

先日、枚方の池田方彩先輩からジャーナリストの「岩瀬達哉」氏を紹介するので、猿渡さん宛てに書籍が送られてきます。との連絡を受けた。
はぁ。誰か知らないけどわかりました。怪しくて超つまんない宗教じみた本が送られて来たらどうしよう?池田先輩は哲学科出身で、岩瀬氏も哲学科出身なので、よくわからん自己主張本だったら困るな〜。なんて思いながら本の到着を待つことにした。
(2011年10月10日に竹村学長の講演会で池田先輩が登場しています。)

池田先輩から電話を受けた2日後には本が送られてきた。
最初の印象は、「すごい!ちゃんとした本だ!しかも新潮社のハードカバーだ!」という印象とともに、東洋大学出身でこれほどの文章を書ける文化人がいたんだ!と感心してしまいました。
しかし、私にとってはこの本が届いた3日後にはファイナンシャルプランナー2級の模試があるので、読んでいる暇がないぞ!と思いつつ300ページ以上ある本を読み始めてしまいました。「ああ、これで俺はFP2級の模試でろくでもない点数を取ってしまうのかもしれない、、、。」という不安とともに読み始めてしまったのだ。
この本を手に取る数日前、本屋で「さよなら!僕たちのソニー」という本を立ち読みし、面白かったので、買いたかったのだが、FP2級の件があるので見送ったばかりだった。しかし、今度はソニーの対抗他社松下が登場してきてしまった感である。正直言って私はこの手の話が大好きである。
著者岩瀬氏をwikipediaで調べたら年金の件でかなり活躍されているようなので、今後社会保険労務士として生計を立てていこうと思っている身としては、すこぶる興味がわく人物になってしまった。
さて、内容についてだが、和歌山の松下幸之助出生地「生誕の碑」へ七代目松下電器社長大坪文雄氏が慰霊に訪れるところから話が始まり、松下幸之助の生涯を掘り下げて話が展開していきます。
松下家の栄枯盛衰、丁稚奉公の時代、義理の弟で三洋電気創業者井植歳男との関係から晩年の松下電器の経営や愛人との関係など、松下幸之助の人生をかなり掘り下げて書かれた本でした。
そして、結びは冒頭と同じ幸之助の慰霊碑の前に話が戻ってくる展開で、かなり面白いものでした。
とくに、日本人であれば、松下幸之助、井深大・盛田昭夫・本田宗一郎は日本が生んだ名だたる経営者で、その一角を占める松下幸之助については、誰もが興味のある人物であり、興味をそそる着眼点だと思われます。それを、送りつけてくるなんて、、、。正直言ってはまってしまいました。ズッポリと。
私は不勉強で、
“松下幸之助=経営の神様=すごく立派でいい人” 
という観念だったのですが、ある意味たたき上げの一個人だったんだな。という気がしました。そして、現状のパナソニック社を見ると、大手企業でありながら大規模なリストラを決行しなければ生き残っていけない現状を考えると、松下幸之助の考え方は戦後の高度経済成長期にはマッチした思想だったかもしれないが、現代の低成長型社会で内需拡大が望めない状況下では必ずしも理想とは言えないのだろうと感じました。
個人的には、世の中は「盛者必衰のことわりをあらわす。」と考えています。過去の成功例も時代によっては必ずしも同じ方法では通用しなくなっていると思います。
私が大学を卒業した2000年は、就職超氷河期(去年や今年よりはましかもしれないが)で皆就職には苦労していました。その時期でも、松下電器やソニー、NEC、JALなどは超人気企業でした。しかし、10年後の現状を見ると必ずしも大手だからと言って安泰ではなかったと思われます。それよりも、10年前は存在しなかったfacebookやあまり知られていなかったgoogleが今では超人気企業に成長しています。
やはり、社会でも自然界でも大きくて強いものが生き残るのではなく、時と時代に適応できたものだけが生き残るのだと思います。だからこそ、ゴキブリはいまだ強く生き残っているのでしょう。
そんなことを思わされた一冊でした。
正直に言って面白い本です。お勧めです!。

ああ、この本は300ページもあって字もぎっちり詰まった小さい字で1600円なのに、普段私が買う、行政書士や社会保険労務士関係の本は、面白くもないうえに字も大きくてページ数も少ないのにもっと値段が高いんだろう?そう考えるとこの本って価格パフォーマンスに優れいているよね。と思わされました。(取材だって、時間と経費がかなり掛かっているだろうし。)
posted by 猿渡 at 22:25| 大阪 ☀| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

京都井街邸訪問


先月は多賀谷先輩を訪問した。
今月は京都の副支部長井街邸への家庭訪問である。
そもそも、井街副支部長は毎年大阪府支部の支部総会に出席されていて面識ができ、昨年から私が支部長を務めだして、メールのやり取りもするようになった。
 支部総会に出席されたときに、「いや〜、京都はたまにサイクリングに行ったりしますよ〜。」「あら、じゃ一度うちにいらっしゃい。」な〜んて会話をしたり、メールでも同じようなやり取りをしていた。
 これを京都人特有の「社交辞令」というやつととらえるか、井街さんが関東人だということを考慮して、本気だととるかは微妙なところである。
 そして、大阪人の私は「本気」と解釈した。
 よし、一丁会いに行ってみよう!ということで、行ってみた。
 そもそも、今後「行政書士」(秋からは社会保険労務士兼任)で生業を立てていこうと思っている私にとって、人に会って人脈を増やすことは、仕事であり楽しいことだ!ととらえているので非常に前向きに誰にでも会いに行こうと心がけている今日この頃でもある。(とはいえ、本当のところ引きこもり気味な性格だったりもするのだが、、、。)

 5月5日(土曜日)こどもの日

 世間一般ではゴールデンウイークと言われている真っ只中、育児休業中の私は既にゴールデンイヤー化しているので、普通の日となんら変わらない感じの日である。
朝7時前に起きて、朝ご飯を食べて、今日は8時に出て行こうと思ったので7時半からBSで連ドラを見て8時過ぎに自宅を出発した。
 会社を休み始めてからの日課になったのは、朝7時に起きることと毎朝連ドラを見ることである。(前回のカーネーションといい、今回の梅ちゃん先生といい結構面白い!)最近は、テレビのチャンネルもほぼNHK固定になった。NHKが面白いと感じるのと同時に民法があまりにもつまらないのである。はたしてテレビは誰のために放送しているのだろう???
 家を出発して176号線を石橋方面に向かった。そこから、171号線をひたすらいつものように京都に向かっていくのである。
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 いつものレーパンと自転車用のジャージ(幹事紹介の写真参照)での出発で、若干寒く感じたが、走っているとすぐに暑くなった。アンダーを着てこなくてよかったと思った。
 井街邸にはできれば10時台につきたいと思っていた。というか、着くだろうと思っていた。井街邸は、京都市左京区東山。銀閣寺の近くである。が、私にとっては天下一品総本店の近くだ!という先入観でいっぱいである。
 普段なら、早ければ2時間弱で嵐山まで行けるので、東山でも3時間以内に行けるだろうと思っていた。
 自転車は順調に171号線を東に向けてアベレージ24km/hで進んでいた。
 気温もちょうどよく汗もかかずさわやかに走れるいい天気だった。
 大山崎で、171号線と新幹線が並走するところでなんとなく写真を撮ったりした。
 京都に入って、まだ10時過ぎだったが、とりあえずすき家で牛丼を食べた。ハンガーノック防止のためである。
 このペースだと11時丁度位に着くかな。と思いつつ走っていたが、京都市内に入ると急激にペースダウンした。
 道が混んでいるのと、観光客が多いことと、観光地に目が行くことと、たびたび地図で道を確認するからである。
 明らかにペースダウンして、五条通で梅小路の前を通り、西本願寺の近くを通り、右手に京都タワーを見ながら鴨川のところまで走って行った。
 梅小路のところでは、「ここに京都水族館ができたのか。」と思ったりした。西本願寺のそばでは、二年前会社の先輩と西本願寺伝導院の補修工事に来たことを懐かしく思ったりした。(あの時は、桜の季節で京都が一番きれいな季節で楽しかった気がする。)
 川端通りまで来た。ここを鴨川沿いに出町柳まで北上しようと左に曲がった。
 途中、祇園や河原町など京都らしい京都の風景が味わえる通りである。季節もよく自転車で走るには最高の季節で、きっと関東地方の人ならば京都が大好きになる風景だと思った。(私もこの風景だけなら「いいな〜。」と思うのだが、京都人は腹黒い!という先入観があるので、実は京都はあまり好きになれない土地柄だったりします。それに、夏は暖か。冬は涼しい。という気候も辛いのです。)
 そんな、いい気持ちも束の間、急激に腹が痛くなってきた気がした。う〜ん。と思っていたところで、丸太町の交差点に公衆トイレがあった。とりあえず行ってみた。
 すっきりして出てきて、地図を確認したらここから丸太町通りを東に行って突き当ったところが白川通りで、そこを北上すれば近そうだったので丸太町通りを東へ向かった。相変わらず、京都らしいいい風景だった。途中平安神宮もあったが気が付かなかった。京都は古い建物が多いのである。戦時中空襲に遭わなかったからであろう。だから、どことなくノスタルジックなのである。
 白川通りを北上し京都造形大学や天下一品総本店の前を通り、途中から曼殊院通りを通って、井街邸の近くまで行った。
 地図には、井街邸の近くに川があるようだった。この曼殊院通りというのもgoogle地図だと、それなりの通りに見えるのだが、結構細く、走っていると幅1mほどの溝を通り越したような気がして「これって、もしかして地図上の川?」と思ったりして、地図を見ながら左折してみた。地図を見ていたらキャッチボールをしている大人がいて、「どこ行くの?」と声を掛けられた。「ここ。」と地図を見せた。「う〜ん?」と言っているので、「井街さんていう家なんですけど。」と言ったら、「あ、それなら一本戻ったところを右に曲がって4件目くらいの家だから。」と言われた。名前を言っただけでわかるなんて相当豪邸??と思った。言われたとおり行ってみたらその通り井街邸があった。車が2代停めてあった。う〜ん、デカイ家だ。
 予定よりやや遅くなって11時20分位の到着だった。
 
 井街邸で呼び鈴を鳴らそうと思ったが見当たらなかった。
 「こんにちは〜!猿渡です〜。」と言ったら、待ってくれていたようで旦那さんと一緒にすぐに出てきてくれた。
 「こいつ、本当に大阪から自転車で来よったは。」という感じだったのだろう。(普通の感覚の持ち主なら、立派なアホに見えるはずである。だって、私も私を自転車に誘った会社の先輩が自転車で京都に行こうと言い出した時に、「アホやこいつ。京都は阪急か京阪で行くところやろ!」と思ったほどである。)
そして、早速家の中へ。
 玄関を入るとすぐにエアロバイクがあった。さすがアスリートである。
 井街さんはもともとオリンピックの陸上候補??だったのである。それにしても私にはあのエアロバイクが理解できないのである。何も家の中でまでペダル漕がんでもええやん。自転車は外で乗ろうよ。家の中やったら景色変わらんし、風にもあたらんから飽きへんかな〜?大体それ漕いでる時にハムスターみたいな気にもならへんか〜?と実の姉の家で姉に聞いたこともあったりもする。ま、わが姉の家ではエアロバイクのハンドルにはハンガーがかかっており、ちゃんとした物干しと化していたが、井街邸では物干し化はされていなかった。その辺がアスリートとなんちゃってアスリートとの違いでもある。
 奥に通された。
 リビングは天井が吹き抜けで、大きなテーブルとソファー。我が家に置くとみんなで端っこによって見ないと目が痛くなりそうなサイズのテレビに、暖炉があった。
 暖炉って、、、。暖炉????薪ストーブですよ!!こないだ王子動物園のハンター邸にあったやつの現代版でっせ。ひ〜。すごいな〜。これはもしかして平安貴族の家に大阪商人がやってきてしまった状態かもしれない気がしてしまった。「ああ、きっとこういう家では、クリスマスに暖炉の前でチーズフォンデュとかいう、今までテレビや本でしか見たこともないようなものを実写でやってみたり食べてみたりするんだろうな〜。」と思ったりもした。(かなりの脚色と先入観が入っている。)
 そんなことよりも、井街夫婦としばしお話をした。
 共通点は東洋大学の出身なのだが、東洋大学の話は微塵も出なかった。ま、この際どうでもいいのである。東洋大学の話が出なかったということはそれなりに話題があったのである。私にとっても京都府支部の佐藤支部長ネタは最終砦のネタと思っていたが、出すこともなかった。
 いろいろな話をしたが、どうやら旦那さんの勤め先が京都大学だったそうだ?「何者?すごい賢いんだけど。アメリカに留学している時とか北欧に行ってた時、、、。」という浮世離れした話題が出てくるのだが、、、、?と思いながら話をしていた。
 ただ、お二人とも話が面白かった。私には大したネタもないのだが、井街邸での話は偏差値が高く教養がある感じで楽しかった。(こういう時に、もし私に趣味も法律の知識も何もなかったら、ただ東洋大学を出ただけの薄っぺらい人間がもろバレになってしまうんだろうな。と思ったりする。それを、何とか趣味とかじった程度の法律知識で薄っぺらさを必死に隠そうとする悲しい人間だったりする。、、、かなり自虐的。)
 そう、忘れてはいけないのだが、井街さん手製のケーキが出てきた。前もって、「ぶぶ漬が出てきたらすぐ帰りますから、、、。」と言っておいたので、「ごめんね。ぶぶ漬じゃなくて。」という感じで出してくれた。う〜ん。うまい。というか、手製のケーキって我が家で我が母が作ったことは一度もないぞ!俺が作ったことはあるけど!と意味不明なことを思ったりもした。(我が家では、娘に夕方NHKのクッキングアイドルマインちゃんを見ている時に、「パパのことをクッキングアイドルなおんちゃんと言え!」と意味不明なことを言ったりしている。ところで、何故マインちゃんはあんなに可愛いんだろう?と思う今日この頃である。人はそれをロリコンと呼ぶ。)
 一時間ほど楽しく世間話をして帰ることにした。この調子だと何ぼでも喋ってられそうなのだが、程よく切り上げないと自転車で家にたどり着けなくなるかもしれないし、昼時なので本当にぶぶ漬が登場したら気まずいので帰ることにした。
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 帰る前に家の前で写真を撮った。家の裏にも案内してくれた。裏には比叡山が見えるというのだ。「あれ!」と指差された奴が比叡山とのことだった。「え〜な〜。あんな手ごろに有名山あって。比叡山って僧兵がいた延暦寺があるところやろ。もう、それって歴史舞台やん。坂道降りて行ったら牛若丸が欄干の上歩いとった橋もあるし。ちょっといったら昔の天皇の住処もあるし。すごいな〜。」と思ったりもした。ま、そんなことより、比叡山はきれいな山なので、アルピニストとして一度登りに行ってみたい気になった。なんちゃって、アルピニストで、なんちゃってダイバーで、なんちゃってローディなのである。
 帰り際に旦那さんに、「ちょっと乗ってみます?」と言って自転車に乗ってもらった。「おー、こんな感じね。」と言いながらちょっと走って、「サドル低くない?」と言われた。「ガ〜ン。だって俺脚短いもん。それに旦那さん背高いやん。180cm以上あるやん。俺170cmやもん。51サイズの自転車でやっとやもん。なんなら48サイズでもいい感じやし。」と心の中でリフレインだった。一部「僕脚短いから。と日本男児の潔さを装ってみたりしてみたけど、、。(私は実は首が異常に長いのである。これがもし脚にその分がいってくれていたらきっと格好良かったのだが、なぜか首が長いのである。きっと僕は首長族の中では相当イケメンの部類になると思うのだが、現代日本では首長族もろくろ首も需要がないのである。残念!生まれてくる場所と時代をミスってしまった。)
 そして、井街邸を後にした。今度は総会に来てくださいね!


 井街邸から北大路通りを下っていくと、神輿が出ていた。
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きっと井街さんが教えてくれていた八大神社の神輿だったのでしょう。井街さん情報では宮本武蔵ゆかりのところだそうだ。(ここは巌流島だったのか????)男神輿と女神輿の2台の神輿が交差点を乱舞していた。“ギャルみこし!”と言わんばかりの勢いだったが、私の目には担いでいる人たちは私よりもお姉さま方ばかりだったような気がした。

 交差点を占拠する神輿を少し見て、そのまま北大路通りを西に向かった。次なる目的地は嵐山である。
 途中気が向いたらどこかでラーメンでも食べようと思いつつ、天下一品とも思いつつ、ま、何でもいいから食べたいと思ったら食べようと思いいつつ走っていた。
 少し走っていくと金閣寺が出てきた。と言っても金閣寺は外から見られないのだが、、、。すごくたくさんの観光客がいた。ま、私もある意味その一人であったりする。そのあと立命館大学の前を通り、龍安寺の前を通り、仁和寺の前も通った。世界遺産をことごとく素通りである。でも、広沢池の横で写真だけ撮った。
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ここもれっきとした観光地のようだが、あまり人もいないし自転車を止めて写真を撮っても平気な感じだったのである。そして、まっすぐに行って大覚寺の前を通った。ここは知らない道だった。そのまま走っていくとどんどん田舎の方へ行く感じだった。何かが違うと思って地図を確認したらどうやら道を間違えているようであった。すぐに少し戻って嵐山へ向かった。
 嵐山はすごくたくさんの人がいた。
 渡月橋から人があふれんばかり大勢いて、保津川には水が見えないくらいボートが浮かんでいた。とりあえずは、渡月橋を渡っていつものお約束ポジションで写真を撮った。嵐山まで来たら自分の庭に戻ってきた感じである。
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 嵐山から少し下って9号線に出て亀岡方面へ向かう。
 京都市内から嵐山にかけて人が大勢いて、観光地もあるせいで自転車の時速はすこぶる落ちていた。嵐山についたころは既に1時半くらいでそろそろいい加減おなかもすいてきており、それと相まってケツと脚が異様に痛くなってきていた。俗にいう「脚が売り切れる。」というやつである。まだ、70kmしか走っていないのに「きたな〜。」という感じである。
 嵐山から9号線に出て、沓掛の山を登って亀岡に降りるのだが、どこでメシを補給するか迷った。途中、天下一品が出てきたのだが、どうしようか迷った挙句スルーした。しかし、結局沓掛の山を登って亀岡に降りてから出てきた天下一品に入ってしまった。よくぞここまでガス欠にならずに来たものだ。と思った。それにしても、結局天下一品かい!って感じの昼食になってしまった。ま、致し方なしである。京都市内だと自転車を置いて自転車乗りの格好で気軽に入る店は限られてしまうのである。
 天下一品でチャーハン定食を食べて、水をたらふく飲んでこれで復活だ!と思って、続きの道を走って行った。
 天下一品くらいでは私のケツの痛さと脚の痛さはまぎれていなかった。「ああ、俺ってだめかも。」と思いつつ、当初寄ろうかと思ったイエローハット亀岡店によらずにまっすぐに帰った。イエローハット亀岡店には我が家の向かいのお姉さん(といっても私より年上なので立派なおばさん。)が働いているので見に行こうかと思ったがすでにそんな元気もなく、時間も無くなりつつあった。(そいういえば1週間くらい前から亀岡は全国区の有名どころになってしまっている。非常に残念である。)
 亀岡の登り坂を前に、ローソンで一休みをしようか悩んだがスルーした。が、本格的な登り坂を前にやっぱり一服することにした。
 道の横に自転車を止めて、「だめだ!ドーピングしよう。」と2年前に鈴鹿6時間エンデューロに参加した時にもらった梅丹の「気合が入るエネルギー補給食・非常食」という怪しげなやつを食べた。
http://www.meitanhonpo.jp/cyclechageCaffeine.html
 こいつは、水で溶かして飲んでも、そのまま飲んでもいいと書いてあった。その時既にアクエリアスが300ccほどしか残っていなかったので、直接そのまま飲むという選択肢以外はなかった。とりあえずは、封を切ってみた。どろっとした茶色い液体が入っていた。「もう後戻りはできない。俺にはこれでドーピングするしかないんだ!」と思い吸い付いてみた。「まずzzzzzzzz〜〜〜っ!」梅丹だからってどうしても梅の味つけなあかんのか???との第一印象だった。まずいけど仕方がないので、残っていたアクエリアスと一緒に胃に流し込んだ。まずさにむせながら胃に流し込んだ。
 あ〜、まずかった。と思いドーピングのあとの一服をしつつ、井街邸を後にするときにお土産としていただいた、井街さんの旦那さんが書いたストレッチの本を見てみた。〜「図解コーチ スポーツシリーズ ストレッチング」井街悠著〜。「ストレッチね〜。してまっせ。中学の先生がストレッチきっちりやらす先生だったから、それ以降ストレッチは走る前にやってまっせー。と思いつつ背表紙を開けて著書紹介を見てみた。
“井街悠 1940年生まれ米国オレゴン大学大学院修士課終了 京都大学医学博士 ロス五輪ソウル五輪陸上競技コーチ、、、、。”
 はぁhhhhhhh−。やっぱむっちゃ賢かったんや。医者なん?陸上選手なん?コーチなん?とりあえず「すご〜〜。」という気がした。そりゃ話題性豊富で面白いし賢いわ。と思ったりした。
 感心してても家にたどり着けないので、痛いケツのまま自転車にまたがって亀岡の坂をえっちらほっちら自転車を漕いで登った。「あ〜、しんどいよ〜。天下一品も梅丹のドーピング剤も効いてこないよ〜。」と思いつつ重いペダルを廻した。
 関西カントリークラブを過ぎて、やっと坂道を登り切って下って行った。下っていく途中「乳の泉」で水の補給をしてまた一休みした。
 乳の泉の水に、今度は何でドーピングしようか迷ったが、とりあえずポカリスエットの粉末(1ℓ分)を750ccのボトルに濃いめに入れてドーピングすることとした。
 濃いポカリスエットを吸いながら「甘みゃ〜い。」と思いつつ休んでいて、そろそろ行くか。と思った時に、Giantを駆ったローディーが走ってきた。「お、Giantだ!」と思いつつ見送ったローディーの髪が風に揺れたロングだった。「@?@?女性ソロローディじゃん。追いかけなきゃ。」と本能的に感じて、急いで自転車にまたがって無意識に追っていた。きっとトラやライオンが獲物を追うときもこんな本能的な感じなのでしょう!(なんとなくお前はハイエナだ!と言われそうな気もしないではないが。)
 何故か今さっきまで完全にグロッキーだったのに急激に元気が出てきてすぐに女性ローディーに追いつきロックオンした。
 前の自転車に引っ付いて走ると楽なのである。話によると空気抵抗がないだけで30%も楽だそうだ。だからツールドフランスでもチームで一人を勝たせるために協力して走っているのである。
 僕は、女性ローディーの背後に張り付いて走っていた。楽である。下り道だし漕がなくても進むし。それに、僕にべた付きされていることにも彼女は気づいていないようだった。それはそれは、もう後ろから嘗め回すかのように観察してしまおうかという勢いだったのだが、いかんせん彼女のスピードが遅いのである。もうちょっと引いていってよ〜。折角の下り坂なんだからもう少し飛ばそうよ〜。50km/h出せとは言わんけど40km/hくらい出してスピード稼ごうよ〜。と思いつつロックオンしていた。しかし、一向にスピードも上がらないのと、ずっとこのお姉さん脚長いな〜と思いながらお尻を眺めつつ走っていると本格的な変態なので途中で抜かしてしまった。
 彼女を抜かしつつ、内心では「追ってきて欲しい。」と思った。出来れば、入れ代わり立ち代わりで引っ張って池田位まで行ければ早くつけるし楽しいだろうに。と思ったが、僕はただ抜かして引き離していってしまうという結果になってしまった。(俺、そんなに早くなかったから闘争心出しておってきて欲しかったんだけどな〜。と何度も振り返りながら走っていた。)
 そして、なんとなく元気になりつつ17時10分頃家にたどり着いた。
 なんとなく元気になったかもというのはやっぱりまやかしで、僕はただ女性ローディが目の前を通り過ぎたということで条件反射的にアドネラリンが出ただけで、家に帰ると全身が筋肉痛になってしまっていた。(パブロフの犬現象)
 夜、風呂に入って、日焼けで体が痛く、耐えがたきを耐え、風呂から出てきてラブを全身に塗ったら日焼けのせいでひりひりして痛く、忍びがたきを忍んで、子供に体の上に載ってもらって踏み潰しマッサージをしてもらって一日が終わりました。
 めでたしめでたし。

 井街さんありがとうございました。
posted by 猿渡 at 10:05| 大阪 🌁| Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月19日

市議会議員 多賀谷先輩を訪問

4月になった。
私、自身一身上の都合により2月末から育児休業に突入し、毎日が日曜日のような体たらくした生活を送っているような、勉強しているようなのんびりしたような生活を送っているようなしていないような感じである。
さて、3月末に幹事会を開いて、今度の支部だより(7月発行分)の記事について大阪府支部に所属している府議会議員の東氏と市議会議員の多賀谷氏に原稿をお願いすることなった。
といっても、幹事会で私以外の幹事が盛り上がって決めた感じだった。個人的には、政治色がつくといろいろな主義思潮がある人がいると思うのでいかがなものかと思ったが、私自身支部長でありながら相変わらずの下っ端なので、「はぁそうですか。」という感じでその原稿を載せてみようということになった。

(個人的には、政治についてはかなり興味があったりする。ニュースを見ながら俺が厚生労働大臣だったらこうしたい。とか文部科学大臣だったらこうしたい。なんて思ったりすほどで、自分自身がなぜ文学部出身なんだろうと疑問に思ったりもする。どう考えても俺は法学部か政治経済学部、もしくは商学部か経営学部が向いていただろうと思う。)

みんなで盛り上がって決めた割には、実際に原稿をお願いしたりやりとしたりするのはすべて私の仕事だったりします。
当然、皆さんにお願いします。と言って頭を下げて依頼をするのある。
頭を下げて依頼をするのですが、私は支部だよりを作るのもこの文章を書くのも当然無給でやっているのです。そして、お願いされる方も当然無給です。
 無給でお願いする私としては、「忙しいところを本当に申し訳ない!ただ、同じ大学の先輩後輩だからというだけでこんな面倒なことをお願いして、本当に申し訳ない!」という気持ちでいっぱいである。そんな、気持ちでいっぱいなので、正直いろいろな先輩にお願いをするのは結構嫌な仕事だと思っていたりする。先輩は快く引き受けてくれたけど、お願いの電話を切った後『ちぇっ、面倒臭せいな!こっちとらおめーと違って忙しいんだよ。』な〜んて言われていないか気が気じゃなかったりするのである。私、なんやかんや言っても小心者なのです。
 ま、そんなことは気にせず、やるしかないので重い腰を上げて取り掛かることにしました。

 前置きは長くなったが、前もって多賀谷先輩にはメールで支部だよりの原稿依頼を送っており、メールの返信で「一度電話をしてくるように。」とのことだったので、電話をしてみた。多賀谷先輩と話すのは昨年9月の支部総会以来である。
 電話をしたら急きょ本日16時に大阪市役所にて会うこととなった。大阪市役所の8階にきて「多賀谷に会いに来た。」と言ってもらえればいいから。と言われた。

 電話をしたのが13時過ぎで、冬物の布団を干して圧縮パックをして整理をする途中だったのを急いで済まして、着替えて出ていくことになった。
 服装についていろいろと悩んだ。スーツで行くべきかラフな格好で行くべきか?悩んだ結果配偶者から「ちゃんとした格好で行きなさい。」と言われ、ワイシャツにネクタイで上着なしという折衷案の格好で行くことにした。

 自宅から阪急で梅田まで行き、梅田から淀屋橋の大阪市役所まで歩いて行った。
 ちょっと早めだったので、この記事のために大阪市役所の写真を撮ったりした。
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 淀屋橋の上から撮る大阪市役所の写真。つくづく、立派な市役所である。みんなが来る場所で便利な場所にあっていいじゃない。わざわざ不便なATCに移動するなんて言わなくても。という気がした。そして、写真を撮りながら多賀谷先輩に呼ばれたのは、8階だ。と思い「いち、にぃ、さん、、」と階数を数えたら、8階は最上階だった。「殿上人じゃん!」と思ったりした。
 そして、人生で初めて豊中市民の僕が大阪市役所に入っていった。
 「ここが大阪市役所か。大阪府を『都』にするとか言っている奴の本拠地だ。スゲー立派な建物だ。「大阪都」っていっそのこと、大阪は「国」にしちまいな。とかわけのわからんことを思いつつ8階に行った。
 8階は議員室や面談室があるフロアになっていた。
 受付の人に、多賀谷さんに会いに来た旨を伝えて打ち合わせ室(6〜7人くらい座れる円テーブルが6〜7個あったと思う。)で一人で待っていた。私以外の来客は誰もいなかった。
 私は、受付で「東洋大学の猿渡と申します。」といったが、「○×さんですか?」と聞かれた。どうやら、私の前の面談者がまだ来ていないようだった。「さすが議員さん。忙しいね〜。」と思った。そして、多賀谷先輩を控室で待っていたら、私の前に会う予定だった人がやってきた。あら〜、完全に被っちゃったね。という感じである。ま、私はゆっくり待っていますのでお先にお話ししてくださいという感じで、30分くらい今度は控室の個室に通されたので待っていた。
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といってもやることがないので、円テーブルの打ち合わせ室の壁に貼ってある、議員議席見取り図や選挙区の議員図などを見たり、写真を撮ったりしていた。
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 え〜、多賀谷さんの選挙区は住吉区か。お、こいつが多賀谷さんの刺客として送り込まれてきた美人モデルか。確かに美人だ。こりゃ、多賀谷さんも苦戦するわ。な〜んて思いつつ待っていた。(ごめんよ、多賀谷先輩。こりゃ、苦戦すると思うわ。だってめちゃめちゃ美人やもん。でも、有権者は仕事ができるかどうかで選ればないかんのやぞ!)

 30分ほどして、被った人との打ち合わせが終わり、多賀谷先輩がやってきた。
 かくかく云々なので支部だよりの件をお願いしますとの旨を伝えた。というようなことは、30分くらい話した中でほんの数分程度のボリュームで、大阪市政の現状の話など世間話をした。内容については、政治色があるのであえて書かないが、多賀谷先輩には初めて訪問して、初めて二人で話したが、「面白くていいおっちゃん。」という感じで、来てよかった感じだった。これも、支部長をしたからこそできる経験であって、年寄りになってからよりも、30代中盤の今くらいだからこそ今後の付き合いにプラスになるのではないかと思ったりした。(私自身、私の持っている資格を活かして何かお手伝いできないかという気持ちがあるので、ただお願いごとだけをするのではなく、逆に役に立てればと思っている。)
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そして、話のあと、議員室に連れて行ってもらい「多賀谷議員」と書かれたプレートがパソコンにおかれた席で、多賀谷先輩の写真を撮って帰ってきた。
 議員室に入る経験も普通はしないと思うが、いい経験だった。写真の通りだが、普通に机が並んでいるちょっと広い目のオフィスって感じでした。各議員の個室があるのかと思ったら、意外とサラリーマンみたいなのでと思った。

 そんなこんなの大阪市役所訪問でした。

 ご協力いただきました多賀谷先輩ありがとうございました。
 この文章を読まれている方々におきましては、7月に発行する支部だよりには多賀谷先輩のコメントを掲載する予定なので楽しみにしてください。


〜多賀谷先輩のHP~
自由民主党 大阪市会議員 住吉区
多賀谷俊史
http://www4.ocn.ne.jp/~tagaya/index.html


posted by 猿渡 at 11:18| 大阪 | Comment(0) | 活動記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする